The simplest magic Chapter 19

「あいつが何か知ってるはずなんだ。あの、赤い髪の子どもについて」
開きかけた口もそのままに、ニースは疑問符を浮かべた。つまるところ、最初の家族愛めいた発言は単なる手段ということだ。ニースが思い切り勘違いしたのを察してフレッドもわざわざ口早に補足したのだである。今度はフレッドが、ばつが悪そうに目をそらした。
「そっか。それが、残ってたな。……まぁ、気をつけろよ。マリィちゃんたちのことは心配しなくていいからさ」
「あれ? 案外あっさり納得するんだな。」
「お前が自分で首突っ込もうとしてることに、いちいち干渉してられるかよ。俺は自分の身の程を知ってんのっ。その範疇で力になれることがあるなら言えよ、そんなに多くはないだろうけど」
「……サンキュー」
ニースは肩をすくめると、小脇の野菜籠を抱えなおしてさっさと背を向けた。フレッドも踵を返す。視線の先に見飽きた風貌の家屋がある。それは住み慣れた生家のはずだったが、こうして戻ってみてもやはりどこか敵意のようなものを感じた。それを振り払うためにこうして、扉の5メートル手前で一度深呼吸する。いつからか定着していたその儀式を、フレッドは無意識にこなして扉を開けた。
「ただいまー」
いつもそうしていたように、気だるくドアを閉める。視線の先で、妹がビー玉のような目を更に丸くしてこちらを凝視していた。
「ただいま」
もう一度、はっきりといいなおした。随分久しぶりに口にしたその言葉が、まさかこんなにも懐かしさと愛おしさを加速させるものだったとは、フレッドは今の今まで知りもしなかった。
 マリィはほんの一瞬くちゃくちゃな泣き顔を見せて、すぐに弾けるような笑顔になった。それに合わせてフレッドが笑いを噴出したのがいささか気に食わなかったらしい、ふぐ口も作る。
「おかえり。……おかえり、お兄ちゃん!」
フレッドはゆっくり頷いた。マリィがくれる温かな空気にこのまま浸かっていたかったが、視界の隅に、間逆の空気を醸す男がちらつく。ソファーには父親が座っていた。いつものように昼間から酒を呷って真っ赤な顔面を晒している。
「……なんだ帰ってきたのか。ベルトニアでくたばったかと思ったぜ」
「しばらく王都に居たからな」
「城ん中、だろ。さすが、国王様は俺たち農民とは格が違うよなあ」
「はあ?」
フレッドの素っ頓狂な声に負けじと、父親は高らかにしゃっくりをかます。
「我らがファーレン国王様に乾杯~!」
「やめろよ」
父親は鼻歌交じりにボトルに口をつけると、思い出したように空のグラスになみなみと注いでフレッドにすすめた。
「ささっ、国王様もおひとつっ。こんな安い酒がお口に合うか分かりませんけどね」
「……やめろって言ってんだろ」
「おい、マリィ! ぼさっとしてねぇで酒持って来い、王様なんだぞ、てめぇの兄貴は!」
二本の杖をおもむろに手繰り寄せようとする──マリィの両足は〝大罪″により動かない──のを、フレッドがやんわり制した。父親の舌打ちがやけに響いて沈黙を許さない。空になったボトルと往生際悪く逆さにして最後の一滴を上目遣いに見送った。
「いい加減に──」
「うるせぇ! あーだこーだ言いやがって! 黙って飲め、何が国王だっ。どっからどう見たって俺のバカ息子じゃねぇか!」
フレッドは顰め面のまま派手に疑問符を浮かべた。わめき散らした当の本人も、思いのほかあっさりフレッドが押し黙ったのを不審に思ったのか似たような顔つきになった。
「何だ、違うのか」
「違わないけど……」
それが不服だとは流石に言わない。互いに一呼吸置くと、父親のしゃっくりだけが無様に響いて、場をどこまでも粗末にする。
「……スイングのバカが大罪受けたって聞いたときゃ、お前ももうダメだと思った。お前は昔からどんくせぇからな」
決して褒められているわけではないのに、何故かけなされている気もしない。フレッドは大した反応もせず、ただ黙っていた。
「お前は大罪、受けてねぇのか。そうでなくてもなんか怪我とか」
「いや……特には」
「……ならいいんだ」
フレッドにすすめたはずのグラスを軽快に呷る。その間にフレッドとマリィは顔を見合わせてこれみよがしに肩を竦めてみせた。
 こんなむずがゆい現場には長居すべきではない。フレッドは使命を思い出して、二階への階段に視線を向けた。
「フィリアは?」
見当たらなかった彼女の名を、ここでようやく口にする。思いのほかあっさりと唇から滑り出たその名にフレッドは小さく安堵した。ほんの少し前まで、この名を呼ぶのにいちいち妙な決意が必要だったことはフレッド自信も認めているところだ。
「二階だ。ずっと閉じこもっちまってる。何とかできるなら何とかしろっ。スイングに治る見込みがねぇならとっとと実家に帰ってもらえ。……若ぇんだ、気の毒だろ」
マリィではなく父親が答えた。最後の補足がなかったら空き瓶で頭をかち割っていたところだ、踏みとどまった自分に密かに賞賛を送る。
 マリィに視線だけで確認を取って、フレッドは階段を上った。足音は聞こえているはずだ。上ってくるのが誰かも、彼女には見当がついているはずだ。その余計な想像が、フレッドの鼓動を早める。スイングの部屋のドアを開けるためには、結局のところ詳細不明の決意を必要とした。それでも躊躇いはなかった。
「フィリア、開けるぞ」
応答はない。予想していたから、気に留めずそのままドアを押し開けた。押し開けたところでノックをしていなかったことに気づいたが、それらの気遣いはすべて、特に意味をなさなかった。
 ドアを開けた拍子に何かが勢いよくフレッドにしがみついてきた。無論、彼はそれを受け止めたし、「何か」の正体も考えるまでもなく理解する。この部屋には彼女しかいない。そして、彼女は、このドアを開ける者が愛する夫でないことを既に知っている。分かっていたつもりだったが、用意していた説明やら励ましやらをすべて忘れるほど、フレッドの頭の中は一瞬にして真っ白になった。
「……フィリア」
名を呼ぶと、彼女は爪が食い込むほど強くフレッドの腕を掴む。そのまま彼の胸に顔をうずめて嗚咽をかみ殺す。いつも整っていた長いストレートの髪が、もつれて絡み合っていた。その髪を昔のように撫でた。直後、聞いたこともない悲痛な、悲鳴に近い泣き声がとどろく。フレッドは硬直したまま子どものように泣きじゃくるフィリアをただ抱きとめていた。
 数秒経って、どうにか冷静を保とうとする意識がはたらく。もはや手遅れだとは分かっていたが、開け放していたドアをゆっくり閉めた──。
「フィリア」
フィリアはフレッドの胸に顔を押し付けたままかぶりを振る。
「聞くだけでいい。俺の口から、言わなきゃならないことがある」
「聞きたくない……! お願い、何も……」
ほとんど言葉にならないような嗚咽が漏れる。フレッドは実際のところ、対応に困っていた。二人で過ごした時間の中で、こんな風にフィリアが取り乱したことはなかったし、こんな風に頼りにされたこともなかった。情けないことに、逆のパターンなら何度かあったような気もしたが、そんなときフィリアがどうしていたかなど、今の動転しきった状態で思い出せるはずもない。
「ひとりに……、ひとりにしないで……」
大粒の涙を止める術を持ち合わせていない自分が腹立たしくて、歯がゆかった。そのすがるような願いが、誰に向けられたものかは知っていたが、フレッドはその細いからだを静かに抱きしめた。



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