フレッドは首を傾げながらも、ギアに渡された二冊の薄い本を抱えて書庫を出た。そのまままっすぐベオグラードの部屋を目指す。何となくではあるがファーレン城内の構造を覚え始め、足取りに迷いはない。目的の扉を難なく見つけると、ノックをしようと手を伸ばした。
ドバン! ──内側から悪意たっぷりに開け放たれた扉に、フレッドは成す術もなく弾き飛ばされた。
「どこのボケだ! 突っ立ってんなよ、鬱陶しい! ……ゲ」
まず謝罪がくるはずだと思っていたのが大間違いだった。ドア衝突の責任をまるごと転嫁された挙句、しまいに「ゲ」である。この一連の言動を何の躊躇もなくやってのける者は、フレッドの知る限りではひとりしかいない。
「何でてめぇがここに居やがんだよ! あ~~胸糞わりぃ!」
「それはこっちのセリフだろ! 仕事は終了したんじゃなかったのかよ……っ」
ルレオはフレッドの質問には答えず、頭を抱えたまま左右にのたうち回った。相変わらず嫌悪感というやつを、いっそすがすがしいほど表出してくれる。極め付けとばかりに、ため息と舌打ちのコンボに皮肉たっぷりの笑みを添えてくれた。
「喜べ少年。俺もいやいやながら死神(ガキ)のお仕置きに協力してやることになった。つまりまたしばらくは、てめぇと『仕事仲間』ってことだ」
「はあ? なに寝言言ってんだよ、俺は別に……」
ルレオがわざとらしく強調した単語は、初めてフレッドとルレオが顔を合わせたときに、フレッドが使ったものだ。ルレオは鼻で笑って小バカにしたはずだが、それを今更こんなところで持ち出してくるあたり、彼のくだらない記憶力は人一倍優れているようだ。
「関係ないことはないぞ、フレッド。死神の存在を知る我々が、それを止めんでどうする? これはもはや一国家の問題などではない、ましてや個人のそれではないんだ」
唐突な声にフレッドはいくぶん冷めた視線を向けた。ルレオの後ろから登場したこの部屋の主、どこかでこうなることに見切りをつけていたのか、フレッドは淡々と嘆息するだけだった。
「謀ったんですか。ギアと組んで俺らを利用しようとしてることくらい誰でも気づきますよ」
「そういう言い方は心外だ。俺はお前が動きやすいように最善のメンバーを選んだに過ぎない。『死神退治』と名目づけてしまえば、全国どこへでも俺の名前を使って自由に動けるんだぞ」
フレッドも馬鹿ではない、これが体の良い脅迫であることを察する。肩をすくめるベオグラードを黙ってにらみつけた。ベオグラードの提案は、「承諾しなければ行動を制限させてもらう」という宣言だ。絶対に首を縦に振らなければならない仕組みになっている、そのことにフレッドは反感を覚えざるを得なかった。
「……俺だって見て見ぬふりをするつもりはないですよ。でも、ベオグラードさんのこういうやり方は気に食わない」
「言うようになったな。ま、時には悪どくなることも必要さ。なに、お前は好きに動いてくれりゃあいい」
ベオグラードは全く悪びれた様子もなく軽快に笑った。フレッドは脱力するしかない。この男と真剣な話をして5分ともった試しがない、結局いつも分かっていながら利用されてやる羽目になるのである。それに何をするにしてもファーレンの、ベオグラードの後ろ盾があることは事実おいしい話だ。
「とりあえず俺は、スイングの様子見に一度ベルトニアに行きます。その後、できればシルフィを連れて北の大陸に向かいたいんですけど。……できるだけ安全な方法で」
付け加えたのは、北の大陸初上陸が「事故」と「偶然」によってもたらされたものだったからだ。詳しく思い出したくもない恐怖の記憶が駆け巡る。
「了解した。ギアの艦を使えば問題ないだろう。予言者……、ミレイくんも連れて行くようにな。ルレオ、君はファーレンに残ってクレス隊長と共に復興作業にあたってくれ」
「へいへい、俺は文句言わねぇよ。金さえもらえりゃあな」
なんてあくどいセリフ──
なんて扱いやすい人間──
フレッドとベオグラードがそれぞれ違う感慨を持ち、同じように苦笑いする。
ともあれ、また例のお粗末極まりないメンバーと行動を共にすることになったわけで、フレッドは諮らずともギアに忠告された危機感というやつを持つ。思惑通りに事が進み、ベオグラードは満足そうに頷いていた。
「私空飛ぶ船ってはじめてですっ! ほんとに飛んじゃうんですね、こんなに大きいのにっ」
「ね、ね、フレッド。お城があんなにちっちゃいよー」
ギアの艦の中で、女性陣ははしゃいでいた。女性陣と言っても今回クレスは同行していない。つまり、窓にへばりついてジオラマのような地上を見下ろしているのは天然予言者と夢見るマセガキということになるが、それにしても微塵もフレッドの胸中を気遣ってくれないあたりがいっそすがすがしい。
「いやぁ、そこまで喜ばれると照れるなあ。確かに俺の艦は世界一凄いんだけどね」
操縦桿を握るギアはすこぶるご機嫌だ。こちらもやはりというか常時というか、とにかくフレッドのセンチメンタルな心情というやつは気に留めない。
ベルトニア城でスイングへの面会を済ませて、フレッドたちはいよいよ北の大陸を目指し空路をとった。スイングは相変わらずというか、まったく回復の兆しを見せることなく、ひたすら死んだように眠っていた。
「そんなに落ち込んでたってしょうがないでしょ。あいつが目を覚ましたところで、大して何も変わらないと思うけどね」
「そりゃあんたにとってはそうかもしれないけど」
ギアが事もなげに言ってのけるのに、フレッドは大人げなく口を尖らせた。事態を好転させるためにスイングをたたき起したいわけではない。フレッドには別の、使命とも呼べる約束があった。しかしそんなことはギアにいちいち告げても仕方がない。そんなフレッドの胸中を正しく汲み取ったのか、あるいは勘違いしたのか、ギアは含み笑いをこぼす。
艦内は女子どものはしゃぎ声をのぞけば、至って静かだった。森羅万象に文句をつけなければ気が済まない金の亡者も、スイッチひとつで大暴走を始めるなんちゃって冷静女も、今回は同乗していない。たったそれだけでおそろしく静かだ。そしてどこか落ち着かない。
(こんな寄せ集めのメンバーで大丈夫か……?)
背中を任せられる誰かがいないのは、フレッドにとって大きな不安要素だった。それに加えて、もうひとつ、もっと漠然とした不安感をわざわざプレゼントしてくれる者がいる。
「あの、フレッドさん」
「……なに?」
ミレイが困ったように声をかけてきた。
「予知がですね」
「何か、入った?」
「あ、いえ。入ったというか、入る途中で遮断されてしまったというか。何かは起こるはずなんですけど、よく分からない状態です」
「……はあ?」
思わず声を荒らげる。悪びれた様子もなく「どうしましょう」などと問われても、対策の立てようがない。せいぜい鍋をかぶって貴重品を抱きしめる程度だろう。ミレイのあっけらかんとした言い草に、前を向いたままギアは爆笑している。
駄目だこいつら──フレッドは、ひとまず荷物を最小限にまとめるために、この適当極まりない連中に背を向けた。
ミレイの予知が強制遮断されて後、何に警戒すればいいのかも分からずに気を張ってはいたが、そのうちに集中力がきれた。心地よい空の旅に半ばうとうとしていた矢先、第二の予言者(しかし直前すぎる)にたたき起こされる。
「フレッド。起きて何かにしがみついた方がいい。おそらく五分後くらいに不時着するよ、これ」
「はああ!?」
ミレイのあっけらかん具合に輪をかけて落ち着きはらったギア。幸か不幸か、おかげでミレイとシルフィは事態を飲み込めず目を点にしている。
「機体が言うこときかない。言っとくけど俺にも、俺の艦にも何一つ問題はないよ。強いて言うならミレイちゃんの言ってた『何か』がこれだったって話かな」
言っているそばから機体が不自然に前のめりになって、フレッドたちは床に這いつくばることを余儀なくされた。ギアは何食わぬ顔を保ったまま激しく揺れる艦を支えている。
「ミレイ!」
「すみませぇぇん! 本当に何かに遮られたんですぅ!」
ミレイは四つん這いの状態で情けなく口をへの字にする。責めたつもりはなかったが結果的にそういう意味合いになった。重力に押さえつけられ、いよいよ立ちあがることが困難になる。
ふと、操縦席に視線を送る。さぞや懸命に着陸を試みるギアが見られると思っていたが実際は違った。先刻まで何食わぬ顔できちんと席についていたギアは、椅子の下でちゃっかり体を丸めている。
「なんでそんなに落ち着いてんだっ。最後まで責任持ってくれよ!」
フレッドはやけくそに立ちあがってフロントガラスに視線を移す。そのガラス越しに見た光景に、大きく眼を見開いた。猛スピードで急降下する雲、無論落ちているのは雲の方ではなく自分たちだったが、視界の中ではそういうことになっている。その流れる雲の中央に、絶対的な異質物が重力を無視して浮いていた。
「死神!?」
赤い、燃えるように真っ赤な髪をなびかせて、少年が空中で笑っていた。それは子どもが知るはずもない、嘲笑という類のうすら笑いだった。
それもすぐに見えなくなる。上からの圧力がフレッドを床にたたきつけた。すぐさま次の衝撃が襲う。凄まじい轟音と重圧、悲鳴どころか声一つ上げられずにフレッドはただ歯を食いしばった。