The simplest magic Chapter 19

 すぐ耳元で何かがはじけ飛ぶ音が間を開けず繰り返されている。パチパチという、随分軽快な破裂音だ。栗でも焼いているのかと考えていたが、そんな呑気な考えも肌に感じる焼けるような熱さで遮断される。弾け飛んでいたのは、不時着した空母から出る火花だった。
 目を覚ましてしばらくはそんな光景を茫然と、眺めていた。
「墜落したのか……」
とりあえず見たままを口にした。年内に二度も空から落ちる奴は早々いない。落ちて、五体満足である奴もまた、数えるほどだろう。こういうのを悪運というのかなどと頭の隅でぼんやり思った。
「不時着、ね。ひとえに俺の素晴らしい操縦のおかげだと思うよ」
一足先に意識を取り戻していたらしいギアが、力なく座り込んでいるフレッドの間横に、これまた力なくしゃがみこむ。眼鏡が半分、欠けていた。
「……嘘つけ。真っ先に避難したくせに」
恨みがかった目を向けて、フレッドは気力を振り絞り立ちあがった。ギアはまだ座ったまま乾いた笑いをあげている。この状況下でも冗談めいた天才理論が吐けるあたりが、感心を通り越して不気味だ。それとも至って真面目なのだろうか。どちらにせよ、まともな思考の持ち主だと自負している自分がそれに合わせる必要はない。
(あれはやっぱり……死神、だったんだよな。俺たちの行動を監視してんのか……?)
「邪魔してるんだよ。さぞかし俺たちは鬱陶しい存在だろうからねえ。……あーぁ、動力部、派手にすっとんだなあ」
フレッドは胸中を口に出していない。ただ考えるそぶりを見せただけだが、ギアはフレッドの心を読んだかのように応答してきた。ますますもって不気味だ、生唾を飲むフレッドをよそにギアは大破した愛艦を涙目で見回している。そこへ──。
 ガコンッ! ──
「うわぁ! ……ってシルフィか、おどかすなよ」
どこから生えてきたのか、半分地面にめりこんだ身体を懸命に引っこ抜いて、シルフィはこれでもかといわんばかりにフグ口を作った。大した怪我はないようだが、下半身は見事に泥まみれだ。
「失礼しちゃうっ。レディーが埋まってるってのに掘り起こしてもくれないんだから」
「ごめんごめん、俺もそんなに余裕が……ミレイは? 埋まりきったか?」
「……ここです」
また過剰にびくついてフレッドがゆっくり振りかえる。彼女は髪を振り乱して虚ろな目で突っ立っていた。頭にはおしゃれな帽子のように瓦礫を乗っけている。
「本当にすいませぇーん……。いつもなら、こういう大事って真っ先に予知するのに。今も、全然力が効かない感じなんです。これじゃあ本当に私役立たずです……」
ミレイのバックには何やら陰気な渦巻き模様が広がっている。がっくりと肩を落とすミレイに気易く声もかけられず、フレッドはとりあえず作り笑いでその場を誤魔化した。
「予知が使えないんじゃ、心配だね。クレスたち」
シルフィが不意に口走った言葉は、フレッドの胸中そのままだった。別行動をとるということは、こういうことだ。互いを信頼していようがいまいがアクシデントがあれば意味を成さない。
「で、ここってどこなのかなあ? 北の大陸じゃないよね」
状況にいちいち考え込むフレッドとは対照的に、シルフィは次々と先へ進む。流石はたった一人で生活してきた北の大陸の生存者だ、フレッドとは根性が違う。彼女の逞しさに当てられて、フレッドも気を取り直して辺りを見渡した。そして瞬時に判断をくだす。と、いうよりその判断はほぼ自動的になされたものだった。
 ここは北の大陸ではない(百パーセント)──というのも、フレッドたちの間横で悠々自適に揺れているのは、まぎれもなくヤシの木だからである。視線の先には熱帯雨林としか言いようがない鬱蒼とした森が始まっている。今さらだが、わけのわからない虫の鳴き声がやたらに耳についた。ここで一気に、くすぶっていた危機感とやらが急上昇する。遅いと言えば、とてつもなく遅い。
「おそらくファーレン北西の無人島じゃないかな。……第二ライン<海境>が貫通してる唯一の陸地。熱帯気候なのはそのせいだ」
第二ライン<海境>付近は熱帯気候が保たれる、少し前にルレオが講釈したのを思い出した。
「ここがどこだろうと、一旦帰還するのが望ましいね。艦を修理するにはそれなりに時間がかかるし、なんならその辺を探検してくるといい。そんなに大きい島じゃなかったはずだ」
「な、直せるんですかあ? こんなにめちゃくちゃなのに!」
「『墜落』したんじゃなくて『不時着』させたんだから当然でしょ。まあ任せなさい、半日もあれば……って。彼は人の話を聞かないところを何とかしたほうがいいよ」
森の方へ全速力で走り去るフレッドに、寂しげな視線を送るギア。その行動の唐突さや奇怪さはこの際重要視しないらしい。
「待ってフレッド! あたしも行くよー!」
シルフィも急いでその後を追う。一瞬見えたフレッドの形相は尋常ではなかった。
 誰もがその異様さに足を止めそうな直径三メートルの花(凄まじい異臭を放っている)にも目もくれず、フレッドは無心に森を突っ切った。
「ま、待ってったら~! 迷子になっちゃうじゃん~~!」
後方で甲高い声をあげるシルフィ、フレッドはようやく足を止めた。大の男が肩で息をするほど全力で走って来たのだから、まさかシルフィが平気でついてこられるはずもなく、顔を真っ赤にして地面に這いつくばっていた。
「どうしたの……いきなり、走っ、ちゃ、って」
フレッドは頭を掻きながら戻ってきて、シルフィに手を差し伸べた。掴むと同時に軽々とシルフィを起こす。
「ちょっと、な。戻ろうぜ。ばらばらになると危ない」
「? うん」
 訝しげに頷くシルフィの頭の上に軽く手を乗せた。それはいつからか「何も心配いらない」の合図だった。
 彼がギアの(どうでもいい)話の途中で走り去ったのには、もちろん理由がある。森の奥へ走り去る少年の姿が、視界を横切ったからだ。ギアは無人島だと言った、だとしたら幽霊でもない限りこんなところに子どもがいるはずがない。あるいは死神──そう考えてフレッドは後を追った。が、森へ入ったときにはその姿はなかった。
「フレッド? しっかりしてよー。ぼーっとして」
「あ? ああ、そうだな。ごめん」
シルフィの手を引いて、生い茂ったシダを掻き分けながら歩く。そうすると、遠い昔を思い出した。幼いころはよく、マリィの手をひいていろいろなところに連れまわしたものだ。些細な、しかし優しい思い出にふれてフレッドは微笑を洩らした。そしてすぐに表情を曇らせる。〝大罪"を受けた「あの日」から、マリィの手を握ることはなくなった。彼女の両手は常に足を支えるための冷たい杖を握っている。
「ねえ、フレッド」
しっかりと手を握り返しているシルフィ、その手をブランコのようにぶらぶら揺らしているのにフレッドは黙って付き合っている。兄を通り越して父親の気分だ。
「言わなかったんだけど、来るときね、すっごく変な花があったの。あたしより大きくってとんでもなく臭い」
「なんだそりゃ。ほんとに花か?」
笑い飛ばすフレッドを制すように、シルフィが空いている方の手で前方を指さした。フレッドを誘い、数メートル手前で立ち止まる。
「それ」
シルフィは指さすのを早急に取りやめて、鼻をつまんだ。ワンテンポ遅れてフレッドも両手で鼻と口を覆う。ここでお手てつないでの熱帯雨林デートは敢えなく終了である。シルフィは空になった手を不満そうに見つめた。
「何だこの花……! くさっ、くさすぎ! 殺人的っていうか、天然凶器だろっ」
好き放題になじって後ずさる。品のない真っ赤な花びらが威風堂々とばかりに幅をとって広がっている。かと思えばその中央からはとても花粉とは言えないような大量の粉塵が吐きだされていた。その悪魔の花の半径五メートルは空気が黄色くすさんで見えた。その恐ろしい見てくれの上に、この悪臭である。一年間放置した誰それの靴下の方がまだマシというものだ。
「ここまで臭いとアレ思い出すな」
「あ゛れ゛って?」


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