Silent Affection Chapter 20

「なんなら拝んで行くか?」
「宜しんですか? フレッドもいないのに……」
「気にすんな、あいつにやった覚えはねぇ。ただどこにしまってあるかは知らねぇから姉ちゃんが適当に探しな」
ポケットから楽器庫の鍵を取り出してクレスに投げる。家宝だなんだと豪語した割に、いともあっさり他人に鍵を渡すものだ。その上管理はフレッドに任せきりのようで、どうも原譜の存在そのものが怪しい気がする。
「なんだよ、そのラルファふんちゃらとかいうのは」
マリィより一層ひどい、黙っておけばいいのにわざわざとぼけた疑問を口にするルレオ。すぐさまクレスの鋭い視線が飛んだ。
「ラ・ル・ファ・レ・ン・ス。歌劇とか……見ないわね、あなたは。有名よ、私も大好きなの。よくピアノで弾いて……」
首を突っ込んでおいて生返事のルレオ、酔っ払いはこれだから腹が立つ。説明を諦めてクレスは案内された楽器庫に向かった。ルレオが無意味についてくるが、浮足立った今のクレスにはルレオがついてこようがヒヨコがついてこようが、変質者がコート一枚で追いかけてこようが取るに足らない問題だった。珍しく、目に見えて上機嫌なクレスにルレオも珍しく一抹の不安などを覚えてみたりする。
「……どうでもいいけど、どさくさにまぎれてかっぱらってくんなよ」
「誰がそんな真似するのよっ。見るだけで十分よ」
本当にあればの話だが。クレスは手際よく扉の南京錠を外すと赤く変色した鉄扉を開け放つ。入り口すぐ近くにランプが置いてあったが、昼間は扉を開け放しておけば十分視界はクリアだ。一歩足を進めると、倉庫内の冷えた空気が全身を包む。
「さて、と……。思った以上に、ごちゃごちゃしてる、かも」
眼前にはピアノや管楽器をはじめ大型の楽器が所せましと並んでいる。皆適当にクロスをかけられているだけのように見えるが、そこからはみ出したボディには傷ひとつ、埃ひとつついていない。管理は徹底されていた。二階ロフト部分は作り棚が設置されていて、楽譜や関連書物はそこに保管されているようだった。
「上かな、ルレオもついて来たなら探してね?」
「だからそれが何かすら知らねぇっつってんだろ」
フレッド相手なら常に優位に立つルレオも、クレスが相手だとどうも調子が鈍る。だいたいからしてクレスは、ルレオの皮肉をはなから相手にしないタイプだ。
「とりあえず一緒に探してみようとかいう気にはならない?」
「全く」
クレスは軽く肩を竦めてすぐさま発掘作業に専念した。元からたいして期待はしていないらしい。ルレオは腕組みをしたまま入り口に立って、クレスの背中を観察していた。
 いつも冷静沈着を装っているくせにこういうときは感情優先で動くのがクレスだ。装っている、というのは今までの短くない付き合いでルレオが発見したことだ。それから有事以外はまるっきり危機感がない。今がまさにその状態だ。丸腰で二人仲良く倉庫に入ろうものなら、「誰か」に「何か」仕掛けられても対処できない。
 ルレオはちらりと明るい外の方へ目をやった。昼食を終えた村人たちがちらほらと午後の作業を開始しようとしている。その他に変わったところがないのを確認して、再びクレスの背中に視線を戻した。
 あいつと話してるときも、だいたいこうだな──不意に、どこからともなくその感慨が湧いた。フレッドと会話を交わすとき、彼女は普段なら絶対にしないような失言や暴言や、皮肉を吐いたりする。はじまりがそこからだったのだから当然と言えば当然だが、クレスの、フレッドに対する言葉にはいつもどこか隙がある。
(ばかばかしい……だから何だっつーんだよ)
自分の思考にとてつもない不快感を覚えて舌打ちする。楽器庫にはそれがよく響き、クレスは一度振り向いて小さく嘆息する。それがまた苛立ちを誘い、ルレオは視線が合わないように階段の下に移動した。と、その人一人分ほどの小さなスペースにガラス戸付の棚が据えられている。何の気なしに戸を開けると、古い紙の束がぽつんとそれだけ収納されていた。さっぱり知識のないルレオにも、それが楽譜であるということくらいは察しがついた。
「おい!」
ロフトの階段を上がり終えたところで、ルレオがそれを差し出した。クレスは無表情、無言のまま受け取る。乱雑に束ねられた頁をめくり、譜面で踊るおたまじゃくしのいくつかを指でなぞった。待つこと、数分──。ルレオがしびれを切らす。
「違うのかそうなのかくらい言えよ! どっちだ!」
至近距離で怒鳴ったにも関わらず、クレスは今気がつきましたとでも言わんばかりにゆっくり顔を上げた。ルレオの顰め面を目に入れるなり笑いを噴き出す。
「うん、これ。凄い、ほんとに原譜が見られるなんて、ね」
再び譜面に視線を落として、クレスはまだ何か笑いたりないのか口元に手を当てる。ルレオは楽譜が読めない。したがってそれに何かおもしろおかしい暗号があったとしても解読はできない。
「そんなに笑える歌か」
それだからこうして、的外れな疑問を素直に投げたりする。クレスがこらえきれず声をあげて笑った。
「そうじゃなくて! なんだかんだ文句言いながらちゃんと探してたんだなあと思って……! ルレオってほんと──」
続きは含み笑いとともに飲みこまれた。飲みこまれた言葉はおそらくそう悪いものではない。
「ありがと」
続きを言う代わりにそう付け足した。
 自分に対しては隙を見せないと思いこんでいたのが間違いだった。そもそも丸腰のくせに、何のてらいもなく背中を見せている時点で、この女は自分に警戒心がないのだと悟るべきだった。いつそれが消えて無くなったのか、ルレオは知らない。クレス本人も自覚などしていないだろう。しかし、それが信頼というもっとも裏切りがたい情であることだけは何となく察しがついた。
「こういう〝本物"を間近で見られるって凄いことよね、得した気分」
ルレオは応答しない。だからクレスの独り言になった。
「……ちょっと、聞いてる?」
 空気の振動が鼓膜を揺さぶって、その信号が脳に届くことを聞くと言うのならルレオはクレスの言葉を聞いていた。今は自らその信号をシャットアウトしている。目の前にいる理論と虚勢で武装した女の上げ足を取るのは好きだった。そこから返される負け惜しみを聞くのも、そんなに悪くないと思っている。からかえば目を向いて怒るし皮肉を言えば目に見えて呆れたりもする。それも別段嫌いではない。そして優しくすれば、笑う。
「ルレオ?」
どうしたの、という言葉をまた飲みこんだ。正確には、唇を塞がれて飲みこまざるを得なかった。塞いでいるそれがルレオの唇で、身動きがとれないのは手首を掴まれているからだと理解するまでかなりの時間を要した。理解するまで、思考は生温かい唇の感触と吐息に支配されていた。

 

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