God alone knows Chapter 21

「いや、でもここ海のど真ん中だよ。というより海境の? いやいやいやその前に、ひょっとしなくてもこの塔、宙に浮いてるよな。……理論上はありえないけどねぇ」
塔の向こう側の景色が時折鮮やかに見える。そこまで透明度の高い素材など、ギアの人生では一度もお目にかかったことがない。よってこれは理論の外の産物だ、そういったことにも適応できる体質ではあるが、いささか唐突すぎてただただ引き笑いするしかない。
「なんだか、蜃気楼みたいですね」
こういうときは武装する理論を持ち合わせていない者の方が順応が早い。ミレイがあっけらかんと(いつものように)思ったままを口走った。
「蜃気楼、か。うまいこというね。じゃあ消えないうちに攻略しちゃいたいかな」
 ギアが言い終わる前にハッチを開けて飛び出した者がいる。──ルレオだ。数秒遅れてフレッドがその後を追う。警戒していないのか腹をくくっているのか、二人揃って豪快に半透明の塔に飛び移った。残された三人は呆気にとられて口を半開きにしている。
「提案なんだけど」
ギアはおもむろにハッチを閉めた。その提案はおそらく同意を必要としない、あるいは半強制的に実行に移されるものである。
「ここはあの二人に任せて、俺たちは待機って方向でどうかな」
「そうですね。行ってもきっと、足手まといになるだけですし」
意外にもすぐに同意を得られた。わき目も振らず飛び出して言った二人を目の当たりにすれば、ミレイのような反応が妥当なのかもしれない。一人心配そうにそわそわするシルフィにも穏やかな笑顔を送っていた。
 問題の二人は、ほとんど後方を気にすることなく塔の中の回廊をひた走っていた。内部は異常なほど湿気が多い。海の水蒸気を根こそぎ吸い込んだのかと思うほどで、普通に息をするだけで酸素が薄いことを悟る。そこを全力疾走すればなおのこと酸欠はまぬがれない。
「俺が先に行く。なんかあったら後ろから叫べ、いいな!」
「おい、待てよ! 勝手に……!」
フレッドの応答などお構いなしに、ルレオはさっさと先陣を切る。苦虫を潰してフレッドはすぐ後ろについた。
 走っている床はどうやら硬い、ということだけは分かっている。二人の足音はそれ相応に反響していたし踏みしめた感触も確かにある。気づけばあれだけ透き通っていた壁という壁は、今は完全に外界をシャットアウトしていて閉塞感すら覚えるほどだ。そういったひとつひとつの違和感を、まさか見過ごすほど無神経にもなれない。
「なあっ! もう少し慎重に行けよ、罠があるかもとかって思わねぇの!」
カビ臭い壁に挟まれているとそれだけで苛立ちを覚える。それでも極力、感情は押し殺そうと努めたはずだった。はずだったが、反応が無いとまたそれに腹が立つ。
「落ち着けっつってんだろ! ルレオ!」
「ごちゃごちゃうるっせえんだよ! 罠だあ? あるに決まってるもん警戒して何になるんだよ、俺かお前か、どっちかでも辿り着きゃあいいだろ!」
 フレッドは足を止めた。反響していた足音が急に止んだことでルレオも流石に立ち止まる。静まり返った空気に、荒い呼吸とルレオの舌打ちが混ざって響いた。
「いい加減にしろよ、ひねりつぶすぞ!」
「今の……どういう意味だよ」
「どうもこうもねーだろっ! 本格的に頭おかしくなったのか!」
「……どっちか辿り着けば、って。何だよ」
「ああ?! ……そっちかよ……! 何も間違ってねえだろ。俺か、お前か、どっちか一人辿り着きゃクレスを助けることはできる。仲良くゴール目指す状況じゃねえって言ったんだよ。……最終的に俺が助けるけどな」
最後の方は振り向きざまで、それに対するフレッドの反応を許さなかった。再びフレッドがルレオを追う形になる。走りながらフレッドは自分なりに答えを見出そうとしていた。ファーレン城でルレオが殴り返してこなかった理由、今こうして全力で走っている理由、それはおそらく同じだ。分かったからこそフレッドも全力で走った。
 足が鉛のように重く感じた。湿った壁を横目に流して、背中に俄かににじむ汗に不快を覚えながらただひたすらに走った。
「フレッド! こっちだ!」
ルレオが少しだけ振り向いて叫ぶ。こっちも何も、ずっと一本道を走ってきたのだから今さらナビゲーションなど必要ない。そもそもフレッドを出し抜いてヒーローを気取りたいなら、自らの言葉通りさっさと一人で突っ走ればいいのである。焦っているのか、ルレオはいつも以上に後方、フレッドの所在を気に留めていた。と、胸中であげ足をとっていた矢先、前方に立ち止まったルレオの背中を認める。
「何だよ……っ、先行ったんじゃなかったのかよ……っ」
「状況が変わった。喜べよ、お待ちかねの罠だぜ」
この期に及んでまでしっかり皮肉を吐いてくるルレオに脱力しながらも、フレッドは指さされる前方を見やった。そして更に脱力して、同時にこみ上げてくる苛立ちを誤魔化す。
「何が罠だ、ただの壁じゃねぇか! 悠長にボケてる暇があったら別の通路探すとかしろよっ」
袋小路を指してフレッドはすぐに踵を返した。その方を途中で鷲掴みにされて一回転する。かなりの至近距離にルレオの顔があり、その鼻先が間横の壁を示した。このまま見つめ合っているのも気色が悪い、フレッドは促されるままに視線を移した。特に変わった様子はない。今までと同じ煉瓦風の壁が行く手を塞ぐばかりである。
 首を傾げるフレッドを見かねて、ルレオがその壁に手を伸ばした。その中の色あせた一角を押し、ゆっくりと力を込める。すると煉瓦はぐいぐいと奥へめりこんでいった。並行して小規模な地響きが体を揺さぶる。行く手を阻んでいた壁がゆっくりと上へつり上がっていった。
 フレッドは、呆れたような感心したような、狭間の何とも言えない表情をつくる。
「……ベタすぎる」
「なおかつこれだからな」
ルレオが力を少し緩めるやいなや、一瞬で壁が半分近く降りてきた。完全に落ちきる前にルレオが再び力を込める。フレッドの度肝を抜くデモンストレーションとしては、この上ない威力を発揮したようで、彼は米粒大にまで目を点にしていた。万が一これの下敷きにでもなろうものなら一瞬でミンチだ。
 通路の先は相変わらず煉瓦づくりの一本道が続いている。仕掛けの手前と少し違うのは、風通しが良いことだろう、通路の両側に一定間隔にある通気口が潮の香りを運んでいた。波の音も僅かに聞こえる。その更に奥に覗いた壁も、ルレオの動作に連動して落ちてきたように見えた。つまりこの短絡的な仕掛けは、この先全ての通路の開閉を担っていることになる。
「……で、どっちが残るんだよ」
そういう選択肢しか思い浮かばない。
「んな分かりきったこといちいち聞くな! 決まってんだろ!」
もちろんルレオの反応は分かっていたが今回ばかりはそれを甘んじて受け入れるわけにはいかなかった。ここでの口論は時間の無駄だ。だとすれば剣を抜くしかないか──フレッドは苛立ちを抑えきれず頭を掻いた。
「俺が残るんだよ、当然」
「当然ってなあっ、何が──! ……は? ……残るのって、俺じゃないのかよ」
ルレオは一瞬心外そうに眉を顰めたが、すぐに元の仏頂面に戻る。ありったけの疑念を遠慮なくその眼差しにこめるフレッドに、口元をひきつらせた。
「なんだよその目は……残りてぇのかよ」
「いや、でもついさっきまで、あいつは俺が助けるみたいなこと言ってたよな。どういう風の吹きまわしだよ」
真顔で、どこか心配そうに語りかけてくるフレッドにルレオは今度こそ派手に青筋を立てたが、今の体勢では何も手が出せない。文字通り彼の神経と力の大部分は壁のスイッチに注がれているしそこから大して動くこともできない。思いきり舌打ちを鳴らす程度だ。
「この俺がてめぇにおいしいとこ譲ってやるって言ってんだよ、グダグダ言ってねぇでさっさと行け! ……こうなった責任の一端は俺にあるしな」



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