Swirl Complex Chapter 2

「バッカだなー! そこで堪えてこそ上がるのが好感度ってもんだろ」
 ニースの家のニースの部屋でニースが入れた紅茶をかき混ぜながらニースが片眉を上げた。対してフレッドはさも心外だと言わんばかりにうんざりした顔でカップに口をつけた。
「誰のを上げるんだよっ。だいたいお前、あそこまでぼろくそに言われてみろ、普通はぶん殴ってんぞ」
「いっそ殴っときゃスーッとしたかもな。勿体ない」
 ニースの適当な言い草にフレッドが青筋を立て始める。言っていることはもっともらしいがそれができれば苦労はしない。
「まあそれは一時置いとくとしてっ。“命がけのバイト”の方はどうなった? 今日だったんだろ、あれ」
 また間の悪い話題を持ち出してくる男だ。フレッドが苦虫を潰す。
「ああ、あれね……。行って、一応引き受けることにしたよ。断る理由もなかったし」
「だから何だったんだよ、内容は。あれだけの金額見たら気になるだろー? 教えろよ」
できれば興味を別方向に向けたかったのだが、思惑も空しくニースは期待を膨らませてすり寄ってきた。
「そんなたいした仕事じゃねえって。気にすんなよ」
「何だよ、隠すことないだろ。やばい仕事ってわけじゃないんだろ?」
「そうでないとあの金額にはならねぇだろ……」
フレッドが面倒を前面に押し出して、もごもごとつぶやく。途端にニースの詰問が止んだ。急な静寂に慣れることができず、フレッドが視線をニースに合わせる。彼は丸い目をしてどこか遠くを見ていた。
「おい、何だよ……。ニース?」
 無駄に瞬きを繰り返して、ニースが徐々に近寄ってくる。それに合わせてフレッドも徐々に視線を逸らしていく。
「やばい仕事ってなぁ……。お前、よく考えた? 俺たちはベオグラードさんと違って一般人なんだぞ。たかだか自営業者に何のやばい仕事ができるんだよ。そんな簡単に引き受けていいのか?」
 ニースが眉間にしわを寄せるときは本気の話をしている合図だ、フレッドが間が悪そうに紅茶を流し込む。
「始めは……断るつもりだったさ。俺にだってそういうわきまえみたいなもんはある。けど、断れない理由ができたんだよ」
「だからそれが何だって訊いてるんだろ。金に目がくらんだーとか言うなよぉ?」
「まあそれもあることはあるんだけど……」
ニースの目が完全に吊り上ってしまう前にフレッドは笑ってごまかす方向に切り替えた。へらへら笑っておけば諦めてくれるかと思いきや、不信感を募らせただけの不発に終わる。
「とにかく……! 悪いけどこれだけは言えないんだよ。ベオグラードさんの言うとおり危険な仕事だし本来俺みたいなのが関わるべきじゃないってことも分かってる。……終わったら全部話す。それでいいだろ?」
 ニースは肩をすくめて淡々と嘆息する。これ以上問いただしたところで待っているのは逆切れか狂言だ。
「フレッドの『これだけは言えない』の『これ』っていくつあるんだあ? 今までのだけでも凄いぞ、初等部んときの好きな先生だろ、中等部んときのカツアゲされた先輩だろ」
「よく覚えてるな……。くだらないことに脳みそ使ってないで犯罪対策マニュアルでも詰めとけよ」
 ニースのこれみよがしな皮肉が始まったところで事態はほぼ一件落着、フレッドも胸を撫で下ろす。が、そのまま安堵の溜息には至らせてくれなかった。
「最近のだとフィリアさんとかもそうだぞ! 俺が二人のこと知ったの、付き合いだして一年経ってからだぞ! 気付かない俺も俺だけどなっ」
やけくそ気味に思いついた言葉をどんどんと飛ばすニース。内容がまたまずいものになってきた。
「もういいだろそのことは。謝ったじゃねえか」
「いいや! 良くないっ。極めつけに二人が別れたって聞いたのも三か月後だったしな!」
 息を荒らげてこれだけ叫べばニースも満足だろう、肩を上下に揺らしようやく口をつぐんだ。つぐんで、フレッドの自分を見る目があからさまに冷たいことに気づく。
「仕方ないだろ。人にべらべら話す気分じゃなかったんだよあの時は」
「ま、まあそう深く考えんなよ。俺が悪かったって」
 すぐに下手に出て丸わかりの作り笑い。ニースの調子の良さに苛立ちも萎え始めた。
「あのさ、一回訊きたかったんだけどさ。フィリアさんと別れたのって自然消滅じゃないんだろ? 理由なんなのよ」
今度は平静に、ニースが改めて話を掘り出してきた。気が動転しているときよりたちが悪い。
「そんなもん俺が知るかよ。目の前にダイヤと石ころが落ちてたら誰だってダイヤ拾うだろ、そういう分かりきった選択にいちいち理由があるとも思えないしな」
「また分かりにくい例えだなー。何だそれ」
ニースは納得いかない表情で頭をかく。
「だいたい変じゃないか? 三年つきあってたんだろ、それがたった半年であっさり乗り換えられるもんかあ?」
「別に……変じゃないんだろ二人にとっては。単に俺といた三年間よりスイングといた半年の方がフィリアにとっては意味があったってだけで」
自分でも卑屈なことを口にしているのが分かる。ニースが黙ったのはそんなフレッドに呆れてか嫌悪を抱いてか、フレッドが彼の表情を確認する前にニースの心配そうな声がそのどちらでもないことを教えてくれた。
「なあ、ひょっとして……俺が思ってるよりずっと引きずってたりする……?」
「そういう意味で言ったんじゃねえよ、悪かった」
 フレッドにとっては思わず噴き出してしまいそうな質問だった。何故ならそれは半年間、彼自身が考えていたことなのだから。その質問への答えは口にしたくなかった。重い腰をあげて、固まった間接を解し始めた。
「どこ行くんだよっ」
「どこって帰るんだよ、いい加減全員寝てるだろうからな」
ニースが“ちょっと待ったポーズ”のまま硬直しているのを横目にフレッドはあっさりドアを押した。と、ニースが体勢を正して咳ばらいを使ってフレッドを呼び止める。フレッドはノブに手をかけたまま一応面倒そうに振り向いた。
「俺はいいけど、あんまりマリィちゃんに心配かけんなよっ」
「ああ、できたらそうする。んじゃあな」
ニースの有難迷惑な忠告も適当に流して、フレッドはドアを閉めた。
 本当はまだ家に帰る気などさらさらない。できることならこのまま友人知人の家を梯子して得に意味もないどんちゃん騒ぎを繰り広げたかったが、肌寒い夜風がそれを許してくれなかった。
 一瞬身ぶるいをしてフレッドは自宅への道を歩く。
「あー……腹減ったなー」
思い出したのは自分が夕食を摂っていなかったことで、それが今、凄く重要なことのような気がしていた。



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