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Swirl Complex Chapter 2

 こそ泥さながらに気配を消して足音を極力たてないように自宅に忍び込む。辺りは静寂を破るフレッドを異質なものと判断し、その声を必要以上に響かせた。
 夜も更け切った時間に誰がフレッドを温かく出迎えてくれるだろう、分かっていても寂しさを覚える。
「みんな寝てる、よな」
様子を窺うようにぼやいてみるものの無駄な努力の垂れ流し状態である。諦めて階段の手すりに手をかける。と、暖炉の傍で微かに物音がした。
「お兄ちゃん……帰ったの……?」
 声のかすれ具合からして今目を覚ましたに違いない。フレッドは明かりも点けずにゆっくり声の方へ歩み寄った。暗がりでもマリィが目を擦っている仕草くらいは何となくわかる。
「ごめんな起しちゃって。ただいま」
マリィがランプに火をともそうとしたのを静かに制して、フレッドは彼女の頭を軽くたたいた。
「今日……どうしてスイング兄と喧嘩したの? いつも仲良いわけじゃないけど、今までそんなことしなかったじゃない」
「ああ、ちょっとな。心配してくれたんだろ? もう大丈夫だから。……フィリア、さんは?」
「今日はまだ荷物が残ってるからって帰ったよ。スイング兄もそっちに」
 フレッドが胸をなでおろす。くだらない心配をしている内にマリィの目はうつろになり、瞼がのんびり閉じようとしていた。
「っと、悪い。そうだよな、誰もいなかったから二階上がれなかったよな。まだ寝るなよ?」
 普段驚くほどしっかりしている妹も眠気眼のときは少女のように幼く見える。大きく頷くマリィを見て、フレッドは微笑を浮かべた。
 木杖を脇に挟んでからマリィを抱きかかえる。気分は娘にメロメロの父親だ。
「ごめんね、お兄ちゃん……」
「何言ってんだよ。起きてるうちに言うけど、俺来週は出かけるからその日は飯いいよ。遅くなると思うから待たないで寝とけよ?」
 マリィからの応答はなかった。先刻よりも幾分重圧を感じるあたりどうやら眠りに落ちたようだ、呼吸が寝息に変わろうとしていた。
 フレッドはまた上目に微笑して彼女の体をベッドに預けた。
(マリィだっていきなりフィリアとの生活が始まって気遣うよな……)
あどけない寝顔の裏に少しだけ疲労が見える。
「……おやすみ」
囁いた後、自分の口からもあくびが気持ちよくもれる。一日がほどなく終わった充実感と、新郎新婦に出くわさなかった安心感がフレッドに睡魔を連れてきた。隣の部屋のドアを無造作に開け、閉めたかどうかも曖昧なままベッドにダイブする。
「今日はラッキーだったとして、明日っから眠れるかなぁ……。このまま向こうに住んでくれりゃあいいのに……」
 枕に顔をうずめて考えたのは来週までの空白の一週間をいかにして埋めるかだったが、大した良策も思い浮かばないままフレッドは眠りに身を任せた。
 次の日から五日五晩、彼は当り前のようにニースの家に入り浸るようになるのだが、その先のことは全くと言っていいほど考えていなかった。ただ“その日”を越えれば何かが変わる、漠然とした期待だけがあった。


 そしてその日はただただ平凡に訪れた。いつも通りの、義務的な鳥のさえずりを従えて。
 ベオグラードと契約を交わした日から六日目となる今日は、フレッドにとっても国民にとっても歴史の境目となる日である。都は今日から明日にかけてお祭り騒ぎだ。革命が成功すれば明日は別の大騒ぎになるわけだが。
「はい、いらっしゃいいらっしゃい! 旦那、食ってかねぇか? ファーレン名物セルシまんじゅう!」
 都は端から端まで露店で埋め尽くされて、昼間から営業戦争が勃発していた。セルシナクレープ、セルシナ風船、極めつけにセルシナまんじゅう。皇女もまさか城下で自分の顔がまんじゅう化されているなど夢にも思っていないだろう、気の毒に思いつつフレッドはセルシナまんじゅうを口へ放り込んだ。
「おいフレッド! いねぇと思ったらぶらぶら観光なんかしやがって、手伝え!」
 まんじゅうを喉に詰まらせながら、フレッドは馴れ馴れしい声の方に振り返った。薄々分かってはいたがこの顔を見ると無意識に脱力してしまう。
「マリィに言ってあったろ……。今日は用があんだよ」
 父親がいかにも即席で開きましたと言わんばかりの店を構えてフリーマーケットを展開している。
「何が用事だ、ぶらぶらしてるだけだろどうせ。手前の店には負けられねぇからな! いらっしゃいませ、いらっしゃいませぇー!」
「手前の店ぇ?」
何気なく振り向いて目があったのは、見覚えのありすぎるそばかす顔。フレッドが派手に苦笑すると、向かいに居る親友も気怠そうに手を振った。世間の狭さに頭をかきながら、フレッドはそそくさとニースの店へ近寄った。
「お、いらっしゃいませっ。何に致しま……なんだフレッドじゃねえか」
 気さくで小柄な中年の男はニースの父親である。村から持ってきた野菜を並べて汗を流す姿は、背後で奇声をあげて張り合うフレッドの父とは比べ物にならないほど爽やかだ。
 フレッドは軽くお辞儀をしてすぐさまニースの方に身を乗り出した。
「おい、なんで野菜なんか叩き売ってんだよ、警吏の卵が。他にやることないのか?」
「ふん、何とでも言ってろ。俺はどっかの誰かみたいに一攫千金なんて狙ってないんでね、こうやってコツコツ地道に小遣い稼ぎってのが一番っ。からかう前にお前の親父何とかしてくれよ。営業妨害だぞ、あれ」
 ニースが顰め面で示す先に、フレッドはもはや視線を向けない。無関係を装うことにしてひたすら無視を決め込んだ。
「夕方にはベオグラードさんのところに行こうと思ってる。……終わったら全部話すよ」
「そう願うね。こんな日に何やらかすか知らねぇけど……気をつけてな」
ニースは小声で野菜に語りかけた。山積みになっている中でも一際艶の良いトマトをフレッドに差し出す。
「これでも食ってさっさと行っちまえ! ヘマすんなよっ」
「……サンキュー。あ、それとさ。……俺になんかあったときは、マリィのこと頼むな」
トマトを回転させながらこちらも野菜に話しかける。そんなことを真剣に頼まれても野菜の方が迷惑というものだ。
「嫌な冗談言うなよ……。縁起でもない」
 フレッドは軽快に笑い飛ばして赤いトマトにかぶりついた。甘くて、少し酸っぱくて、懐かしい味がした。


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