ニースの家を後にして数時間、いろんな店に呼び止められいろんな類の菓子をほおばっている内に王都を約半周していた。今フレッドが噛みしめているのは“皇女のわたあめ”とかいう胡散臭いものだが思ったより美味だった。それがただの棒になりかけた頃にはひしめき合っていた露店の数もまばらになる。
「なあそこの人! パンチングやってかないかい? 今ベストレコード出した人には賞金がつくよっ」
その数少ない店の一軒はゲームコーナーだった。賞金の二文字につられてふらふらと店をのぞく。レコード表の一番上に知った名前が記されていた。
「知り合いかい? 国王即位のときのレコードだから七年前か。凄いだろ、まだ誰にも破られてねぇ」
知り合いもなにも──そう胸中でもらしていた。
(あいつ……こんなのやったのか)
七年前と言えばスイングが今のフレッドと同じような年齢のころだ。つまらない張り合いをするつもりは毛頭なかったが、何となく店主の口車に乗せられて同意を示していた。
「チャンスは一回きり! それじゃがんばっ──」
ガスッ!! ──店主がお決まりの励ましを言い終わる前に、フレッドは渾身の力で以て的をぶん殴った。めり込んだ拳を引き抜くと、その反動で手作りのマシーンが激しく震動する。
「こりゃすげぇ! おしいなあんた、二位っ。あと二十ポイントでベストだったのに……いやあ残念だったな! 記録は二位、と。名前は?」
フレッドは黙って踵を返し、視界の奥に見えるオレンジ色の屋根に向けて歩きだした。
「おいあんた、名前は? いいのかい、記録も残らないぞ」
逃げるようにベオグラードの家に駆け込む。我が家さながらに無断で扉を開け、後ろ手に閉めながらようやく一息ついた。屋内にまで流れ込む花々の香りが、安堵をくれる。が、その効果も一瞬であった。
「あ、来たんじゃない? ドアの音がしたわよ」
「フレッド、遅ーーい!」
「トロいんだよ、ノロマ! 何分待たせりゃ気が済むんだボケ!! さっさと下りて来い!」
順にティラナ、リナレス、言いたい放題罵声を浴びせてくれたのが言うまでもなくルレオだ。
「おせー、おせー、おせー!! 聞こえてんのかぁ!?」
「今下りるよ! やかましい奴だな!」
額に青筋をぶら下げてフレッドは地下の階段を下りた。そして、音のしない扉を勢いよく押した。
午後六時半、夕暮れの次にやってくるのは漆黒の闇。太陽は西側にのみ光を残し、空を赤と黒の二色に変えた。
鉄格子のような窓から彼女はその空を、はしゃぐ子どもたちを、賑わう街を見下ろしていた。冷たい壁は外界とこの空間を完全に遮っている。女は深々と嘆息した。
「いよいよなのね。やっと私の即位の日……今まであなたにもいろいろ苦労をかけたわ、ありがとう」
皇女は自室で月食のその時を待ちわびていた。白いドレスに身を包み、肩に届かない短い髪を、決意の瞳を揺らした。その傍らに皇女より幾分大人びた女が立っている。背筋を伸ばして、教科書通りの敬礼をしてみせた。皇女が苦笑する。
「頭を上げてちょうだい。あなたには感謝しているの、これからも私を……ファーレンを助けてもらえる?」
「ええ、勿論です。でも……気を抜かないでください。本番はまだ、これからです」
皇女はおもむろに頷いて腰を上げた。小さな窓に手を掛け、瞼を閉じる。
「分かっています。聖水を口にするまでは、まだ……」
十六歳の誕生日を迎えてすぐ、この国の主となる少女の大人びた眼差しを従者である女は心配そうに見つめる。皇女の横顔にはまだ幼さが残っていた。
「日没まで数十分……何も、起こらなければいいけど」
独り言のように女が呟いた。
城下では軒並み並んでいた露店が撤収作業を開始し、着々とパレードの準備が整えられていた。
「んじゃとりあえず遅れた理由を簡潔に述べてくれる? 田舎のろまくん」
ベオグラード邸地下の一室、何の引け目もなくテーブルに足を乗せてルレオがフレッドを名指しした。と言っても実際は妙なあだ名をつけられただけだ。やはりこの男といると気分がよくない。
「まあまあいいじゃないっ。きちんとした時間決めたわけじゃなかったし」
「時間だあ!? いいか、世の中ってのは新米が一番先に来て先輩をお出迎えするってのが定番だろうが。ランクだよ、ラーンークー。あー、ありえねぇ」
リナレスのフォローを半ば滅茶苦茶の自論でで打ち負かして黙らせる。口を尖らせたリナレスに代わってフレッドが対戦、かと思いきや彼は小さく溜息をついただけで大した反論もせず席についた。
「何だブレッド。いつもみたくシャーシャー言わねぇのか?」
「フ! レッド! 誰がブレッドだ、パンじゃねぇんだよ!」
希望に応えて一応シャーシャー吠えてみる。ルレオは興味なさそうに生返事をすると、両足をきちんと床に下ろした。二人にベオグラードの視線が痛いほど突き刺さる。蛇に睨まれた蛙、といったところだがそれにしては態度のでかい蛙である。
「取り込み中悪いが確認に入らせてもらうぞ。三十分後に王都端から城内まで仮装パレードが行われる。それに紛れてルレオ、フレッドは城内に潜入。ティラナは例の場所でスタンバイだ。いいか?」
各々が神妙な顔で頷く中ルレオは頬杖をついたまま欠伸をもらしていた。ベオグラードは再び咳ばらいしてトノサマガエルを睨みつける。
「そしてリナレス。ルーヴェンス大臣との合流場所は確認済だな? 君はそっちに直行、次に会うのは儀式殿だ。健闘を祈る」
リナレスは不慣れな敬礼をすると殊勝な笑みを浮かべて席を立った。案外あっさりメンバーが分岐するもので、フレッドは慌ててリナレスに視線を移した。
「がんばろうね! 次は儀式殿で会いましょー。それではっ」
リナレスはこれまた不似合いな投げキッスを別れの挨拶代わりにして、振り向きもせず部屋を出た。
「私もそろそろ行こうかな。時間ぎりぎりで慌てるのって好きじゃないし」
ティラナは赤い唇を妖しげに光らせて微笑する。おそらくメンバーの中で唯一心配のいらない存在がティラナで、それを裏付けるようにベオグラードは退室する彼女に一瞬視線を合わせただけで何も言わなかった。
後に残された男三人、会話らしい会話もなくただ重い空気を吸うだけの時間が一、二分続いた。
「……パレードに紛れるってことは俺たちも仮装するってことですか?」
こういった沈黙が続くとごく普通の会話を切り出すにもいちいち勇気がいる。ルレオは鼻で笑うのも今はとりあえず無視してベオグラードの返答を待った。と、ベオグラードが顔を背けてほくそ笑む。ルレオも訝しんで視線をこちらによこした。
「当り前だろう。そこに二人分用意してあるからサイズの合う方を勝手に着てくれ」
「勝手にって……」
渋々クローゼットをあさるフレッド、その動きが止まる。様子を見にきたルレオも思い切り瞳孔を開いて動揺を顕わにした。先に意識を取り戻したのはルレオで、岩と化したフレッドを突き飛ばして問題の二着を品定めし始めた。
「よしっ!! おい、田舎もんよく見ろっ。俺の方がお前より身長がでけぇ。よって俺はこっちのLサイズのうさぎの着ぐるみ、お前はこっちのMサイズのちょうちんブルマーだ!」
「ちょ、ちょっと待てよ。確かに俺の方が身長は低いけどそんな何十センチも差があるわけじゃないだろ……!」
ままならぬ思考回路で必死に足掻くが、身長という大義名分を手に入れた今ルレオはとことんそれにしがみつくつもりだ。こうなれば一ミリも十センチも彼にとっては同じことである。
「だいたいあんた、うさぎをかぶる顔じゃないだろ! 子どもの夢を壊すような真似すんなよっ」
「うるせぇ! じゃあ何か? 目尻の下がった優男ならいいのか? ぬいぐるみの中身なんざみんな髭のおっさんだろうが! つべこべ言わねぇで着替えろ!!」
フレッドの手を振り払って、ルレオは無理やりにうさぎの頭をかぶった。胴体部分を死守しようとするフレッドをあっさり突き飛ばしていそいそと着替えをこなす。頭だけだと恐ろしい化け物のようだったが、すぐさま立派なうさぎさんができあがった。
それを受けてフレッドは無言で部屋を出た。手には縞模様のちょうちんブルマーと白タイツを抱えてゆっくりとした足取りで空き部屋へ移動する。数分後にはさぞかし素敵な王子様が隣室から登場することだろう、そんな光景を想像してベオグラードはまた、一人でひっそりと笑いを堪えていた。そんな矢先──。
ドンッ!! ──轟音と共に激しい地響きがベオグラード邸を微かに揺らした。その振動は地下に居ても分かるくらい鮮明だ。
「んだぁ、今度は! 戦車でも突っ込んだか!?」
急いで階段を駆け上るベオグラードとルレオ、それより一足早くフレッドが玄関先で窓の外に視界を奪われて立っていた。
外にはたくさんの観光客の歓声と感嘆、そして色とりどりの花火が夜空に開花している。それは前夜祭開催の合図であり、革命開始の余興でもあった。
「いよいよか。成功すれば英雄、失敗すれば死刑囚……」
「そうだな。さっさと終わらせてもらえるものもら……もらえ……ブッ──!!」
決め台詞に乗ってきたかと思えばいきなり高らかに吹き出すルレオ。心外そうなフレッドの顔を見て勢いは更に増し、花火そっちのけで座りこんで笑う。終いには小刻みに震える腹を抱え、フレッドを指差す始末。
「お似合いだぜ王子! その白タイツとか特になっ。これなら皇女サマも大喜びってもんだ」
涙目でやっと口に出したのはフレッドへの初の褒め言葉、には程遠かった。