The Dream In Sacred Night Chapter 25

「フレッド、変わったよな」
それは思っていたよりずっと静かな口調だった。
「なんか安心感みたいなのがある。今のお前なら、案外大丈夫なのかもな。……死ぬなよ、フレッド。お前は英雄なんかじゃない、帰るべき場所はちゃんとここにある。マリィちゃんも親父さんも、俺も、みんな待ってるよ」
変わったのはニースもきっと同じだ。あの革命と名のついた日から、皆何かが少しだけ変わったのだろう。フレッドは柄にもなく感動して、不覚にも涙ぐんでしまった。酒のせいもしれなかったが今更どちらでも良かった。
「分かってるって。俺がいなくなったらお前泣くもんな。店だって潰れるし、マリィの面倒だって見なきゃだし」
言いながら、自分が居なくなって被害を被るのはせいぜいこんなものかと再確認すると空しくなった。酔いが一気にさめる。手に取ったまま口をつけずにいた水のグラスを飲み干した。
「そういやフレッド。お前、俺がどうしてここにいるか、ちゃんとわかってる?」
そばかす顔ができもしないくせに不敵な笑みをつくる。
「は? 招待客だろ?」
「ただの招待客じゃないぞ。ある人の護衛とだけ言っとくよ。すぐに分かるさ」
胡散臭く髪を掻き揚げる仕草がとてつもなく腹立たしい。仕事の一環で来たのなら何故こいつはここまで無節操に酒を呷っているのか、批難してやりたかったがそれも面倒だ。
「かっこつけやがって。仕事できたならさっさと業務に戻れよ、俺なんかナンパして楽しいか?」
 フレッドはさっさと席を立った。別段これで構わない。永遠の別れではないのだから、かしこまった挨拶は要らないし話しそびれたことがあれば次回に回せばいい。人ごみにまぎれていくフレッドをしばらくぼんやり眺めて、ニースは満足そうに長いすにもたれる。壁掛け時計に目をやってそのまま視線を入り口の両開き扉へ移した。そろそろだ。
「フ、フレッドさんっ、入り口! あれって……っ」
人の群れを縫ってきたミレイが、フレッドの肩を引っつかんで「あれ」なるものを確認させる。ラズベリーのタルトを頬張ったところで、フレッドは味わう間もなくそれを丸呑みするしかなかった。ニースが意味深な発言はすべてこの人物の登場をさしていたのだろう。視線の先には白いパーティドレスを身にまとったファーレン第一皇女、セルシナが立っていた。ミレイの一声をきっかけに周囲がどよめく。ニースの方に目をやると、彼は白い歯を見せてにやついていた。
(何にやついてんだよあいつっ。どういう意味合いになるか分かってんだろうな)
「こ、こ、国王陛下! セルシナ皇女ですよ! 私は一言も聞いていませんでしたが!」
ほら見ろ──いつになく動揺をあらわにするベルトニア護衛団のトップ、サンドリア。彼のうろたえっぷりが事の重大さの緊迫を物語る。
「私だって知らんよ! 君の部下の誰かで情報が止まったんじゃないかね!?」
「そんな馬鹿な……!」
はっきり言ってむごい仕打ちだ。何故かすべての責任が押し付けられようとしている。
 騒然となった会場で、いつの間にかセルシナ皇女用の通路とばかりに人々は左右に分かれていた。パーティ中だとは思えない静寂が辺りを飲み込んだ。事態は自動的にどんどん派手になる、それにあわせてサンドリアが目を白黒させた。
 皇女の後ろにはベオグラードの姿もある。と、ベオグラードが群集が即席で作った通路を勇ましく進んでサンドリアに歩み寄った。
「ベオグラード殿……っ。どういうおつもりか、こちらには一言も……」
極端に小声にしてはいるがサンドリアは未だ事態が把握できていない。哀れといえば哀れだが、流石といえば流石である。ベオグラードは苦笑して、サンドリアの隣に立つよう見せかけすばやく耳打ちした。
「すまない。君のミスではないよ、皇女の意向でね。ここはひとつ、黙って見ててくれないか」
「そういうわけには……」
ベオグラードの威圧的フォローが終わるか終わらないかの間に、セルシナ皇女はゆっくりとした足取りで通路を歩き、その中腹で立ち止まった。誰もが無意識に息を呑む。皇女は深く一礼してゆっくり顔を上げた。
「パーティを中断させてしまったことをお許しください。本当はこのようなつもりではなかったのですが」
「こちらこそ、ファーレン皇女が訪問すると分かっていればきちんとした場を設けたのですが、上の座からで申し訳ない」
気が気じゃないのは何もサンドリアだけではない。ベルトニア国王でさえも見えないところで冷や汗をかいていた。対立国家、とまでは言わないが決して友好関係にない隣国の王族が、堂々と民衆の前に姿をさらすのは自殺行為であり、挑発行為である。張り詰めた空気が人々に沈黙を強要しているようだった。
「構いません。そのつもりで来ましたから。私は……皇女としてではなく、ファーレンの一国民としてここへ来たのです。気遣いなど……ましてや特別待遇など無用だと思っています。私は今、ここにいる方々からどんな仕打ちを受けても仕方が無い立場にあるのですから」
挑むような視線、しっかりと自分ひとりの足で立って現実を受け入れる姿。これがファーレン国民の姿だといわれれば安易に批難などできない。皆、分かっているからこそ成り行きを見守った。しかしいつ暴動が起きてもおかしくはない。ファーレンに恨みを抱いている者など山ほどいるのだ。現に歯を食いしばって俯いているベルトニア国民が目に映る。
「皆さんもご存知のとおり、わが国ファーレンは謀反を企てた反逆者により、各国に多大な被害と犠牲を出してしまいました。亡くなった方の命は……戻ってはきません。大罪を受けた方も、いらっしゃると思います」
「その通りじゃないか……! 今更何をしに来たってんだ!」
どこからともなく、という表現はいささか間違っているのかもしれない。特定できなくともこのパーティの出席者の誰かの本音であることは間違いないのだから。そして、その「誰か」はあまりに多い。皆が胸の内に秘めているであろう台詞だった。
「申し訳ない……っ! 非礼を──」
「いいえ!」
両手を硬く握り締めて、ベルトニアのとってつけたような謝罪を制す。
「いいえ……。罪を認め、謝罪すべきは私たちです。謝ってすべてが赦されるなどとは思っていません、元に戻らないものの方が多いのですから。でもどうか、どうかファーレンの犯した罪をお許しください……! 我々が手を取り合うためのチャンスをお許し頂きたいのです」
セルシナ皇女はまた深く、頭を垂れた。震える指先を何とか制そうと歯を食いしばる。
 多くの人が戦で死んだ。多くのものが失われていった。その償いを、今彼女は背負おうとしているのだ。ベルトニア王の長い嘆息が沈黙を破った。
「あなたは皇女としてではなく一国民としてここへ来たとおっしゃった。それならば答えを出すのは私ではない。顔をあげて、よく御覧なさい」
おもむろに視線を上方へあげる。ベルトニアの人々の顔、顔、顔、どれひとつまともに見れはしない。そんなとき。
 計ったようなタイミングで一斉に拍手が沸いた。ベルトニア国民は彼女を、ファーレンの謝罪を受け入れたのである。隣国にたった一人で勇敢に乗り込んできた皇女に、誰も敬意を表さないはずがなかった。温かな拍手に眉尻を下げる皇女、その目に再び炎を点したのは、絶対の信頼を置く唯一の存在、クレスの姿だった。奥のバルコニーから顔を出して、クレスもまた拍手をしている。彼女の見ている前で情け無いことはできない、とセルシナ皇女は力強く微笑した。
「ファーレンはこれより一切の敵対精神を捨て、ベルトニアと友好関係を築けるよう尽力することを約束いたします。数々の無礼を、今ここでもう一度、お詫び申し上げます」
「こちらこそ、これからの両国が互いに良いパートナーとなれるよう努力していこう。……セルシナ皇女に誰かグラスを! 乾杯をしよう!」
歓声があがると同時に誰かれ構わずグラスを打ち合った。先刻まで暇を持て余していた給仕は大忙しだ、手ぶらの出席者たちに急いでワインを配る。セルシナ皇女には無論、クレスが恭しく手渡した。
「すばらしかったですよ。さすがファーレン第一皇女」
「クレスが見ていたからよ。ありがとう……本当に」
セルシナ皇女の周りにもいつしか人々がなだれこんでいて、両国の象徴だったあの即席の道は埋められていた。もみくちゃになりながら笑顔でグラスを握る。



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