The Dream In Sacred Night Chapter 25

「いたいたっ。ベオグラードさん、ちょっとフレッドお借りしていいですか?」
一瞬、誰だか分からなかった。長い髪をアップにしたフィリアがバルコニーに顔を出す。
「かまわんよ、大した用じゃなかったしな」
「じゃあ良かった。はいこれ、付けて。ベオグラードさんも」
フィリアが無造作に二人に手渡したのは、鼻が半分隠れる程度の半面マスク。フレッドは掲げなら訝しげに見つめた。ベオグラードは何の抵抗も無いのか躊躇無く装着していた。
「フィリア、何これ」
「ダンスタイムになったのよ。全員そのマスク着用、仮面舞踏会っていうの? 楽しそうでしょ」
フィリアが冗談交じりに仮面を顔に当てる。乗り気じゃないのが丸分かりのフレッドを見かねて、仮面を奪って付けてやる。フレッドは特に拒否しなかったが内心は消極的だった。このときベオグラードは音を立てないようにこそこそと中へ入っていく。
「誘いにきたの。踊りましょ」
「え、いいよ。ダンスは得意じゃない」
ここはきちんと拒否する場面だ、きっぱり言うと数歩後ずさった。それを更に踏み込んでフィリアが手をとる。知ってはいるがこういうとき意外に押しが強いのがフィリアだ。
「平気よ、学校で少しは習ったでしょ。リードしてくれなくていいから」
「わざわざ俺じゃなくたって、フィリアならすぐ相手が見つかるって」
「わかんない男ねぇ。フレッドがいいの。ほら来る!」
やんわり断り作戦、大失敗。きっぱりがいつのまにかやんわりになっていたのが原因だろう、フィリアに引きずられながらフレッドはうつろにそんなことを考えていた。フィリアは仮面を付けて妖艶に笑む。歩き方、仕草のひとつとっても彼女に庶民くささというものは感じられない。すっかり主導権を握られた形でフロアの中央までくると、フィリアのリードで手と手を組む。とにかく情けなくない程度に振舞うことにした。
「大丈夫、どうせ顔なんてわかんないんだから。堂々としてればいいのよ」
「言っとくけど本当に下手だからな……」
仮面の下でフィリアが笑ったのが分かる。ゆっくりした音楽に合わせて二人はステップを踏んだ。周りは皆優雅に舞う中で、フレッドはひとり胸中で冷や汗を流している。
「気をつけて行って来てね。フレッドは警吏でも何でもないんだから。無事に、ちゃんと帰ってこないと承知しないからね」
「分かってるって。心配ないよ」
とにかく今は明日のことよりこのスローワルツをどう切り抜けるかの方が重要だ。仮面の下の眼球は絶えず足元を追っている。
「ごめんね……フレッド」
少しだけ眼球を上へ。慣れてしまえばさほど難しいステップではない。フィリアの表情は無論仮面に隠されていて、確認することはできないのだがそれでも思わず顔をあげてしまった。
「……何?」
「私、分かってたの、たくさん傷つけたこと。でもそれは仕方が無い事だって言い聞かせてた。利用したわけでもない、裏切ったわけでもない、仕方が無いじゃないって。……とんでもない女でしょ」
「そんなこと、思ってないよ」
──思っていたらもっと早くに忘れられていた。仕方が無いのだと言い聞かせてきたのは、むしろフレッド自身の方だったのだから。
「勝手だけど、これだけは信じて? 私は、確かにあなたが好きだった。傷つけることが分かってて好きになったわけじゃない、裏切るために愛したわけじゃなかった」
「分かってるよ。ちゃんと、分かってる」
音楽は気づけばクライマックスを迎えていて、隣のペアはここぞとばかりに華麗なターンを決めていた。フレッドとフィリアは相変わらずのステップを繰り返すだけだ。
「もうそろそろ……終わるわね」
フィリアの呟きの直後、音楽が止みそれぞれが足を止める中で、二人もぎこちなくステップをやめる。間奏の音楽が小さく流れ始めた。談笑や指笛、拍手などがこだまして騒がしいにも関わらず、二人の間だけはひどく静かに思えた。
「ずっと、謝りたかった。……今日、言えてよかったわ。踊ってくれて、ありがとう」
次の曲が始まろうとしている。フレッドは最後の最後で、自ら彼女の手をとって会場の隅へ導く。仮面は取らないままで、フレッドはフィリアを正面から見つめた。
「俺もずっと言いたかったことがある。どうしても……今まで言えなかった」
それを本人を目の前にして口にすることが、二人の関係を変えることを知っていた。嘘でも皮肉でもなく、今なら心の底から言える。
「幸せに、なってください」
 おそらくは驚愕して声が出ないのだろう、フィリアはぽかんと口を開けて数秒固まっていた。その数秒後のとびきりの笑顔、その美しさは例えようがない。
「フレッドも、ね。私応援するから。いつでも応援してるからね」


 仮面舞踏会は続く。フィリアとのダンスを終えたフレッドは、会場を抜け出して未だ殺風景なままの廊下をあてもなく歩いた。進めば進むだけ、倒壊し瓦礫と化した城内の風景に変わっていった。遠くに聞こえる舞踏会の音楽だけが、美しく優しく響き、眼前の光景を癒すようだった。
(あとは……中庭、か)
時折立ち止まっては四方に視線を走らせる。パーティ会場には既に見当たらなかったクレスを探した。玉座の間意外は修復がほとんど進んでいないから、探す場所も限られる。
 立ち入れる箇所をだいたい周った後、ここベルトニア王城の中でも指折りの美しさを誇った空中庭園にやってきた。色とりどりの花々が整然と咲き、それがラインからの風に揺れる。侍女や兵、城下の人々が好みの茶を持ち寄り、中央の噴水の淵に座り談笑を交わす。噴水の水は、朝日にきらめき、夕日に染まり、月夜を映し出す。──かつての庭園の姿を思い、フレッドは少しだけ俯いた。花は燃え、人は消え、噴水は倒壊し今は水の音さえしない。
 ただここから望めるラインの山並みだけが変わらずそこにあった。顔を上げ、月明かりに薄く照らされた雄大な山脈を拝む。そこからの風も変わらずに吹き、優しく頬を撫でた。
「何やってんだよ。俺たちのためのパーティ、だろ」
眺望用に設けてある円柱状のバルコニーで、見慣れた後姿が風に髪をなびかせていた。クレスは驚いたような、呆れたような顔で目を丸くし首だけをこちらに向けた。
「自分だって抜け出してるくせによく言うわよ。……苦手なの、パーティは。いつもみたいに隅で控えてるなら構わないんだけど」
 フレッドはクレスの横には立たず、あえて噴水の縁に腰を下ろした。酒とダンスで火照った顔に夜風は心地よく、クレスの長い髪がなびくのをぼんやりと眺めた。クレスもまた、腰上まである手すりに頬杖をついてぼんやりラインを眺めている。と、フレッドの脳裏に先刻のベオグラードの言葉がよぎって、彼はクレスの後姿をまじまじと観察した。セルシナ皇女のドレスの色に良く似た清廉そうな白。派手な装飾は一切無く、それが彼女の細い足腰を際立たせていた。百戦錬磨と謳われる女隊長にしては、あまりに華奢だ。しかしそれが飾りの通り名でないことをフレッドは当に知っている。
「あの……」
クレスが口ごもりながら向き直った。髪が長い。知ってはいたがいつもはきちんとアップにしてあるから、こうして下ろされると全く印象が違う。
「あんまり見ないでもらえる? 似合わないし……」
「ああ、悪い。いつもと違いすぎてつい」
思ったままをすぐさま口にしたが、それが墓穴だったことにもほぼ同時に気づく。クレスは再び素っ気無く背を向けた。こういうときは褒めてもけなしても同じだ、女は(この女はとりわけ)面倒くさい。また後姿を拝む羽目になったが、おかげで抱いていた小さな疑問が解決する。
「分かった、コルセットだ。締めてないよな?」
「はあ? だからあんまり……!」
不躾で直接的な質問に、クレスは思わず素っ頓狂な声を上げて振り返った。振り返った先に、クイズの正解を期待しているような無邪気な顔のフレッドを見止めて言葉を飲み込んだ。代わりに、解説を加えてやることにする。



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