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Crystal Line Chapter 26

「ギアさーん、今どの辺りですかー? ひょっとしなくても、もう近くですよね?」
「え? そうだな、もうそろそろ……」
 ミレイが何度か頷きながら、立ったままだったクレスとルレオに座るように指示を出す。その言動を幽霊でも目にしたかのように怯えた様相で見やるギア。彼女が何の前触れも無く機敏に行動し始めたときは、例によってろくでもないことを予知したときだ。
「ミレイちゃん、何?」
「あ、おそらくですね、数分で蜃気楼の塔に強制ワープ? すると思うんです。できたらギアさんも衝撃に備えてくださいね」
ミレイがさらりとそうい言ってのけると、わけもわからず座らされた連中が途端に荷物にしがみつく。ミレイも落ち着いた様子で頭部を抱えて丸くなった。
「おいおい……俺はどうすりゃいいんだあ?」
操縦桿は離せない。ギアができるのは、万全の防御体勢の後方をちらちらと振り返るだけだ。
「大丈夫だって。隕石ぶち当たっても壊れないんだろ?」
フレッドは他人事のように笑って自分も荷物にしがみついた。うろたえるギアというのは、明らかに希少価値だ。などと非道なことを考えていた矢先、シルフィがゆっくり這ってギアの両足にしがみつく。
「あたしが支えとく。安心して運転しちゃっていいよ」
ギアが少女の優しさに感動したのもつかの間、ミレイが小さく呟いた「あ」の字をきっかけに凄まじい衝撃が艦を揺さぶった。その「あ」っという間に揺れは強まり、圧力で無理やりに地面に伏せさせられた。ギアだけがシルフィの必死の努力によってかろうじて立っている。
「皆さん! 目を閉じて!」
ミレイが金切り声をあげる。それだけで状況がとんでもなく緊迫してくるから恐ろしい。皆もはや意味を考えず言われたままに固く瞼を閉じる。ルレオなんかは何をそんなに怯えているのか、だるまのように丸まっていた。
 ミレイの忠告は今回も正しかった。瞼の裏で赤や黄色の光が狂ったようなスピードで点滅を繰り返しているのが分かる。点滅の加速に反比例して、揺れは徐々に穏やかになっていたが油断は禁物だ。念には念を入れて、フレッドはきつく自分の瞼を押さえ込んだ。
 光の点滅が和らぎ、やがて収まる。
「……おい! もういいんだろ? はらはらさせやがって……!」
まずルレオが立ち上がる。三半規管が待ったをかけてきたか、勢いは良かったがすぐに壁に手をついてバランスをとった。ルレオの一声を皮切りに残りの連中もよろよろよ立ち上がった。ギアがずれた眼鏡を掛けなおして、フロントガラスを注視する。
「ミレイちゃんは百発百中だね。ハッチ開けていいよ、外に出よう」
ここはクレスが買って出た。頷いて一気に入り口を開ける。暑さも寒さもない、乾燥しているのか湿気ているのかそれすらもよく分からない。無機質な空気が流れ込んできた。
「間違いない。蜃気楼の塔よ、ここ。……わざわざ招き入れてくれるなんて、ね」
「狙いは君なんだから当然でしょ」
ギアが念を押すように肩をたたく。そのまま背中を押して、乗客の下船をひとりひとり見送った。最後にフレッド、その背中は押さず肩を掴む。
「(大丈夫か?)」
ほとんど口パクに近い小声で自らの目を指す。先刻の点滅のことを心配しているのだろう、フレッドは軽く頷いて何事もなかったように皆と合流した。
 眼前に長い、先の見えない回廊が続いている。「塔」と称してはいるが、このつくりは相変わらず反則だ。それに回廊以外、ここには何も無い。空が無く、海が無く、音が無い。
「箱庭の……外の空間、かな」
「可能性は高い、けど根拠がないからその点については考えるはやめよう。腹も立つ」
フレッドが口にした感慨に、ギアが目くじらを立てる。反応が早いのは同じようなことを考えていたからだろう。考えるのは止めにしたが、おそらくはそういう認識で良いのだと悟る。
「さーて。行きますかね、死神退治ってやつに」
さっそく走り出そうと踏み込んだ刹那、ルレオにそれを阻まれる。
「俺が先に行く。お前はチビでも引っ張ってろ」
「はあ? なんだそれ」
久しぶりといえば久しぶりに、食って掛かろうとするフレッドを今度はギアが制す。
「……何か意味あんの? これ」
「少しはルレオに華持たせてやりなよ。助けてもらった借りを返しておきたいってところだろ、きっと。先頭は何かとアレだし」
危険だ、というのをぼかしたのだろうが無意味だ。フレッドは頭をかきながら文句を飲み込んで二人の意に沿った。
 フレッドはシルフィを前にして無心に走った。無心なつもりだったが、こう誰も彼もが無口だといろいろな考えが頭の中をめぐる。
 例えば前方を行くルレオの背中、以前と随分印象が違う。敵対心と悪意の象徴のようだっだそれを、今少し、頼もしく思っている気持ちの悪い自分がいる。気持ちが悪い原因は明らかにルレオにあるのだ、なぜなら今彼は緩やかに小走りをしている。ミレイやシルフィが遅れを取らないようにペースを緩め、周囲に目を走らせている。それが温かくて、最高に気持ち悪い。
「……おい」
ルレオが呟くと同時に不意に立ち止まる。それは長い回廊の終わりを意味していた。
「やっと塔らしくなってきたな。ここからは螺旋階段、か」
薄暗い階段がとぐろを巻いている。少し先はカーブしていて、やはり先が見えない。適当な感慨を口にするフレッドを、ルレオは半眼でにらんでいた。実のところ、彼が立ち止まった理由は別のところにある。先刻の不躾なつぶやきは無論フレッドに向けられたものだ。
「何だよ、早く上ろうぜ」
「……どうでもいいけど、後ろから薄気味悪ぃ笑い浮かべて追っかけてくんな。虫唾が走る」
ルレオは渾身の力をこめて顔を歪めると、それだけ言い捨ててまた先陣を切った。一方フレッドは、しばらくの間思考停止を強いられる。その間にクレスが先を行き、ミレイもまた横を通り過ぎていった。シルフィが恐る恐る視線を上げると、口の筋肉を高速で痙攣させて怒りを制すフレッドがいた。ルレオに対する全ての褒め言葉を胸中でひとつ残らず撤回する。そして何を思ったか、シルフィを小脇に抱えると血走った目で奴を追う。
「フ、フレッド~! 何! どうしたのー!」
三段飛ばしで階段を走り抜けていくと派手な足音が響く。そうこうしている内にマイペースのミレイを追い越し、驚いて立ち止まったクレスを抜き去った。残るは宿敵のみだ。
 尋常で無いスピードで、なおかつ凄まじい形相で追われれば本能的に逃げたくなるのが人間だ。まだ見えない何かが迫ってくるのを察知して、ルレオがピッチをあげた。
「なんで逃げんだよ! 急にスピードあげやがって!」
「うるせー! お前が追いかけてくるからだろ!」
二人は三メートルほどの距離を保ったままデットヒートを繰り広げた。それに意味があるのかどうかは互いに重要視していないらしい。クレスやミレイは一応上方を見上げてはいたが、構造上二人の姿はすぐに見えなくなった。
「どうしたんですか、あの二人」
ミレイが呆然とするクレスに駆け寄る。クレスは答える代わりに静かにかぶりを振った。どうせ少し走れば二人が力尽きて座り込んでいることも、とばっちりを食ったシルフィが目を回してぐったりしていることも確認できるはずだ。
 案の定、フレッドとルレオは狭い階段の両端にへたりこんで、虫の息だった。追いついたミレイが、クレスが何ともいえない哀れみの表情を晒す。
「うわぁ……なんかとてつもなくバカバカしい感じがしますね」
「……そうね」
やがてギアがマイペースを保ったまま追いついてくると、フレッドもルレオも我先にと立ち上がった。
「ウォーミングアップして休憩してただけだろ。おらフレッド! 行くぞっ」
「暑苦しいな……、意気込まなくてもてっぺんだろ」
ルレオの隣で出口がぽっかりと口を開けている。光はない。一筋もない。深淵と呼ぶに相応しい闇が手招きしていた。呼吸が整ったのを見計らって、今度はフレッドが先陣を切った。



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