A Lunar Eclipce Chapter 3

「本物のセルシナ皇女はどこだ?」
クレスの唇を見つめてその応答を待つ。が、彼女は不敵に笑みを繕った。フレッドの焦りと苛立ちが剣を通して彼女にも伝わる。
「あなたは私を殺さない。だからこのままの状態を保てば、直に兵が駆けつける」
「……埒があかねぇ」
全ての苛立ちを込めたような深いため息をわざとらしくついた。
 体勢は俄然フレッドが有利だ、少し力を込めれば女の喉元をかっ切ることができる。しかしその状態を有利と呼べるのは、それが絶対に実行されないものであることを相手が察していない場合においてだ。つまり二人には当てはまらない。
(何でこうなるんだよ……!)
胸中で独りごちた。いや、正しくはベオグラードに対する愚痴だったかもしれない。考えた末にフレッドは一度剣を引いた。そして間髪入れずその矛先をクレスの右肩へ向ける。脅しが何の意味も持たないのなら、その一歩「先」に踏み出すしかない。
 剣は再び厚い壁に突き刺さり動きを止めた。渾身の力で以てそれを引き抜くと再び迷わず女の聴き腕を狙う。剣が空気を斬る音だけが唯一場を支配する、はずだった。
 背後で派手に響く足音にフレッドは手を止めた。足音が部屋の前で唐突に止む。
「おい! いつまでやってんだ! ずらかるぞ、衛兵が束んなって上がってきやがった!」
 血相を変えたルレオが息を切らして室内に飛び込んできた。フレッドの集中力が途切れた一瞬の隙をつきクレスは視界から姿を消す。
(しまった!)
「何だてめぇ!!」
ほぼ同時にルレオの方から風切音が聞こえてきた。クレスの先端の無い小剣がルレオを襲っている──状況把握には何秒もかからなかったが内心愉快な光景で、このまま慌てふためくルレオを暫く見ていようかとも思ったが、遠くに聞こえる衛兵の声を耳にしてはそうも言ってられなかった。
「ルレオ、ふせろ! 頭飛ぶぞ!」
「ああ!?」
一応声をかけて、フレッドは自らの剣を肩を使ってぶん投げた。凄まじい勢いで二人めがけて飛んで行く刃、クレスは寸前でかわす。が、ひるんだことに違いはない。ルレオは口を引きつらせながらもフレッドと合流することができた。
「てめー、どういうつもりだ! 手元が狂えば俺に当たるところだったんだぞ!」
「助けてやったってのに文句か? それどころじゃねえだろ、別にあんた狙っても良かったんだぜ」
ルレオの口元が高速で痙攣するのを遮って、窓の外からレトロなクラクションが鳴る。とてつもなく場違いで間抜けなラッパの音に、ルレオはうざったそうに視線だけを窓の外へ向けた。そして何を血迷ったかガラスのない窓に残った鉄格子を力任せにひっこ抜き始める。
「おい、何やってんだよ!」
「下見ろ下! 飛び降りるぞ!」
フレッドが言われるままに視線を落とすと、おんぼろな車を颯爽とふかすティラナの姿が飛び込んでくる。フレッドが彼女の存在を思い出したときには、隣にいた男の姿は既に消えていた。直後、
 ドサッ──いち早く、ルレオは車上に落下。フレッドも感心したり怖気づいたりしている場合ではない。
「フレッド急いで! 囲まれるわ!」
ティラナの絶叫を合図にフレッドも手すりに足をかけた。と、耳のすぐ横三センチを何かが通り過ぎた。真横の壁で、先刻自分が投げた剣がぶらぶらと楽しそうに揺れている。
「逃がさないわ、絶対!」
 このセリフも全く別のシチュエーションなら楽しめたかもしれない、などと心のどこかで悠長なことを思いながらフレッドは窓の外へダイブした。うまい具合に後部座席に着地し顔をしかめる程度の痛みで済む。しかし彼に安堵が許されることは、この瞬間を境に無くなってしまったのだった。
 ドズッ──フレッドの隣にも誰かが座ったらしい妙な重みと音がした。同席者はついさっきも顔の横ぎりぎりに突き刺さっていた自分の長剣、「自分は勇者の剣です!」とでも言わんばかりに不必要に堂々と刺さっている。フレッドの眼は限界を超えて広がっていた。
「逃がさない! 絶対に法で裁く!」
クレスは今にも飛び降りそうな角度まで身を乗り出している。その凄まじい執念に、フレッドがただただ口をぽっかり開けていると、ルレオが体をねじ曲げて後部座席に顔を出してきた。その手にはボウガンが握られている。
「おいっ、何するつもりだよ」
「決まってんだろ、撃ち落とすんだよ。このまま手ぶらで帰れるかってんだ」
 フレッドがその意味を理解する前にルレオは片目をつむって狙いを定めた。次の瞬間、ルレオはあっさり矢を放つ。
「無駄なことはやめて大人しく戻ってきなさい! あなたたちはもう囲まれてる!」
矢は、クレス自体とは全然かけ離れた城壁に突き刺さっている。頭を抱えるフレッドをよそにルレオは満足そうに微笑した。矢の先端から微かに漏れる白いもやが、ルレオの笑みの理由だった。
「なんか……煙出てない、あれ」
フレッドが指さすとそれを見計らったように辺りにたちまち煙幕が広がった。放たれた矢は睡眠ガスをまき散らす手段だったのである。クレスも油断していたのかろくな対処ができず口を塞ぐだけだ。その体がゆっくり傾いたかと思うと勢いよく車内に落下する。剣のときよりも数段大きな音をたてて、クレスは後部座席に不時着した。
「一丁上がり。皇女様ってのはもう少ししおらしくしねーとな、こういううるさい女はとっとと黙らせるに限る」
 ティラナが再びエンジンをふかした。古びた車体はそれらしい下品な排気を吐き出して徐々に前進、城門を出るころには加速して心地よい揺れに変わった。
「まったく。一時はどうなることかと思ったけど一応成功したわね。騒いだ分だけ急がなくちゃ」
「騒いでひとりでもたついてたのは後ろの坊ちゃんだけどな。もう少し手際ってのを考えろってんだよ」
 二人はまだ知らない。終幕の談笑に心を和ませるのはまだ早いということを、ルレオとティラナは当然のことながら全く分かっていなかった。
 ティラナがふと眼をやった後部座席に青ざめたフレッドが映る。
「フレッド、どうかした? 顔色が真っ青よ……?」
ティラナの代役とばかりにルレオが振り向いて顔を覗き込んできた。さも、面倒くさいと言わんばかりの舌うちもセットだ。
「詫びなら金か物にしろよ。後ろで死人みてぇな顔されても迷惑。薄気味悪ぃんだよ」
「……この女」
「あ?」
ルレオの凄まじい罵詈雑言に動じることもなくフレッドがぽつりと呟く。何となく聞こえていたにも関わらずルレオはわざとらしく素っ頓狂な声をあげた。
「この女、セルシナ皇女じゃないんだ……。護衛隊長とか言ってた。たぶん俺たちみたいなクーデターをあらかじめ予想して万全に対策を練ってたんだ。影武者だよ……」
 ルレオの顔つきがみるみる内に百八十度反転する。先刻まで報酬のことで一杯だった彼の頭の中は一瞬にして白紙になった。次に脳裏を支配するのは極端な絶望感だけだった。
「……どういう意味だ、それ」
全ての喜怒哀楽が消え去ったかのように無表情なままフレッドを凝視する。フレッドはそのまま顔を上げることができなかった。
「俺たちの計画は失敗、この女が目を覚ませば……一部始終告発されて豚小屋行き決定ってことだよ」
淡々とした口調、言葉が事実という飾り気のない真実をありのままに伝えた。


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