The Heavy Pressure Capter 4

クレスの眉間のしわが一気に濃くなる。
「これって人間の熱!? 四十度と言わずあるわ……っ、こんなので今まで──」
クレスが口走った数字にルレオも一瞬だけ目を見開いた。足元に、仮死状態の男がぐったりと横たわっている。暫くそれに視線を落として、最終的に鼻で笑いとばした。
「なんてザマだよ。口だけっていうのはどうやら当たってたみたいだな」
無造作にフレッドの横腹を蹴ってみるが反応はない。確認のため再度、軽く蹴りをいれた。
「ちょっと……!!」
「なんか文句あんのか? 言えるわけねえよな、長いことこいつの背中に乗って楽してたんだからな」
急に冷めた目つきでクレスを睨みつける。出かけた言葉を飲み込んだクレス、そのまま何も言えずに俯く。
 地面を見つめながら彼女はまた別のことを考えていた。フレッドのこの異常な高熱の理由にクレスは心当たりがあった。
(聖水の副作用……まさかこんなに激しかったなんて。命に関わってしまう……)
『王位継承の儀』『聖水』それらの関連古書には総じて聖水を飲んだ後に訪れる試練についての記述がある。記述はあるが詳細は記されない。一概にそれはただ“試練”とされ、それこそが王位継承の儀の本質であるとされていた。聖水を飲めば問答無用で国王となる、飲まなければいくら口約束を重ねても正式な王にはなれない
 血の気の失せたフレッドを見降ろしてクレスは複雑な心境を隠せずにいた。
「たぶん聖水を飲んだ副作用だと思う。もうしばらくこの高熱が続くはずよ。とてもじゃないけどこんな状態で先へは進めないわ」
「そりゃ丁度いい。このまま死んでくれりゃこっちとしては好都合だ」
つまらなそうに唾を吐き捨てて、ルレオはあっさり背を向けた。そのまま一人先を急ぐ。
「置き去りにするつもり!? 放っといたら本当に死ぬわよ!」
 驚愕の域を超える振舞いに、クレスは思考回路が追いつかない状態だった。フレッドとルレオ、両者の仲間意識は、ずれ過ぎている。無論彼女は経緯を知らないのだから無理もない見解であった。この二人に“仲間”という位置づけはおそらく最もふさわしくない。彼らは古い友人でもなければ気があう同士でもない。たまたま同じ餌に釣られた魚に過ぎなかった。
「ふざけんな。なんで俺がお前らを待って時間費やさなくちゃなんねぇんだ? ここで犯人がくたばったと思わせりゃ俺は少なくとも無実だ」
「最低ね……あなた」
「お前が邪魔さえしなけりゃこうはならなかったんだよ」
無表情で告げてルレオは足を速めた。眼前の草木をひたすら手折っていく。その音がだんだんと小さくなるにつれてルレオの姿も小さくなる。そしてクレスの視界から姿を消した。
「なんて奴……!」
 あとに残されたのは夜の闇と不気味な木々のざわめき、そして横たわるフレッド。死人のように白い顔を風に晒して、完全に意識を失っている。
(ラインはベルトニアとの国境線、下手に山狩りはできないし簡単に見つかることはないはず……。だけどこの人……)
もしこのまま数時間意識が戻らなければ──最悪のパターンを想像してクレスは身震いした。もし目が覚めなかったら、もしファーレン軍に捕まったら、嫌な結末ばかりが脳裏をよぎる。
途方に暮れる一歩手前くらいをふらふらしながら、クレスは茫然と景色を眺めた。頭上に茂る木々のざわめきと不協和音を奏でる虫の声が不気味さに拍車をかける。ただし、このある程度の静寂は、先刻までの激しい緊張を緩和してもくれる。深々と嘆息して、再び現実、フレッドへ目を向けた。うめき声ひとつあげず、人形のように眠りこけている。もう一度、はじまりの合図として溜息をもらした。
「悪いけど、調べさせてもらうわよ……。あなたが何者なのか」
 躊躇なく着衣のポケットを漁って中身を引きずりだすと、四次元でもないのに次から次へと物が飛び出す。小銭、短刀、紙くずに、先刻止まったばかりの時計、用途不明のネジ、極小サイズの貴金属、これに手持ちだった剣を加えても随分味気のない所持品だ。期待していた極秘文書も極悪組織の手掛かりも出てこない。
「凶悪犯というよりは地元の気のいいお兄さんじゃない。なんか気が抜けるな、この人……、こっちは、身分証?」
また躊躇いなく中を開く。
「名前はフレッド、『シャッフ楽器』スタッフ。……楽器店」
名前、生年月日、身分階級と略歴、家族構成、一通り目を通すと不満そうに出したものを元通りポケットに詰め込んだ。
「極悪人ではないか。経歴もパッとしないし。でも気は抜けないわね」
 ほんの数分ではあったがフレッドと剣を交えた彼女は、彼をただの田舎の気のいいお兄さんというカテゴリに分類すべきでないことを悟っていた。間合いの取り方、太刀筋ひとつとっても素人のそれではない。
 クレスは、フレッドが何者かという判断をひとまず保留にすることにした。極悪人ではないが一般人ともいえない。只者でないことは分かるが、一見してその証拠もない。とりあえずは分類不能、後回しだ。ひとまず危険人物でないことが分かっただけ収穫はあったし、その結果次の彼女の行動が決まる。機敏に立ち上がった。
「ここで死なれて事件がうやむやになるのも困るってものよね。仕方ない、やるか」
独りごちてクレスはその場を離れる。くたばったままのフレッドを置いて一歩一歩その場を遠ざかっていく。無論フレッドがそれを知る由もなく、彼は何の反応も示さずただただ仰向けに空を見ていた。ひとりきり、山中に残されて静かに呼吸を繰り返すだけである。
 置き去りにされて数分、クレスは戻ってきた。手には多分に水を含ませた布を持って足早にフレッドに駆け寄る。どうやら水辺を探しに出歩いたらしい、濡れた布をフレッドの額に押し当てた。焼けた鉄板のように凄まじい勢いで蒸発していく。数十秒で布は乾いた、いや干からびた。
「本当に生きてるんでしょうね……」
苦虫をつぶしてクレスはまた立ちあがった。生温かい布を手にして先刻と同じ方向へ走る。そして帰還してはフレッドの額に布を押し当てて、また慌ただしく水辺へ走る。そんな面白くもない作業を何度となく繰り返して、そろそろ飽きが生じたころ。不本意な努力の甲斐あって、フレッドが小さくうめき声をあげた。苦痛を腹の底から訴えると言うよりは、休日の寝坊を邪魔されたときの不快に満ちあふれたうめきである。クレスの呆れが一瞬にして疲労に変わった。
「何なのこの人、人が一生懸命介抱してやってるっていうのにっ。起きなさいよ! フレッド!」
 うめき声ひとつ上げた途端急に扱いがぞんざいになる。回復の兆しが見えたところで、邪険にもフレッドの頬をリズムよく叩き始めた。



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