Who is Jorker ? Chapter 6

 風が止まない。フレッドが先刻からちらちら窓を見やっているのは、いつ割れるか知れない心許ないガラスを案じてのことだ。対してクレスは落ち着き払った様子で優雅に紅茶などをたしなんでいる。それも一人分、ちゃっかりしているというかあっさりしているというか、気の利かない女だ。
「少し落ち着けば? そんなにあの人のことが心配なら二人一組でも構わないわよ」
「……冗談だろ。俺が心配してんのは船の方だよ。あんたの方こそやけに落ちついてんな」
「勿論心許ないのは同じよ。ただこういう演習は日々行うし、実経験もあるしそわそわしたって無駄でしょう。フレッドも船酔いしないように自分の心配した方がいいと思うけど」
 フレッドは再び窓の外へ視線を向けた。クレスも暫くフレッドの方を気にしていたがやがて空になったティーカップを置いて席を立った。
 二人が黙ること数十分、同じ体勢のまま微動だにしなかったフレッドがいきなり起き上がって窓の外へ目を凝らす。顰め面と驚愕の狭間のような曖昧な顔つきで、ある一点を凝視した。
「どうかしたの……?」
クレスが訝しげに、眉を顰めてフレッドの肩越しに窓を覗き込んだ。フレッドが無言で指さす先をクレスもまた、無言で目で追った。
「何あれ……」
「分からないからとりあえず見てる」
クレスは胸中で深々と嘆息して、確認しようと扉を開けた。無論、豪雨と暴風は相変わらずで一瞬後ずさったもののクレスは外へ飛び出した。
 普通、この場合フレッドも後を追うべきなのだろうが彼はやはり微動だにせず窓の向こう側の“それ”を物珍しそうに眺めていた。
「何かあったの!? まさか雷雲!?」
帆の真下にクレス、真上で手旗信号(自作)を懸命に行うルレオに向かって叫ぶ。間近で見ても意味不明なのだから船室からでは分かるはずもない。クレスとフレッドが首を傾げていたのはルレオの、小躍りにも似た緊急の合図だった。
「なんであの優男は出て来ねぇんだよ! 舐めやがって!」
「いいから何があったか教えて!」
「ああ!? だから何であいつ来ねぇんだって! ふざけんじゃねえぞ……!」
「もう! 今はどうだっていいでしょ、なんなのよ!」
当事者が双方とも極めて焦っており、なおかつ嵐の真っ直中で、最終的に情報がちゃらんぽらんとなれば苛立ちも芽生えるだろう、二人がただただ喚き合っているのをそれでもフレッドは見ていた。と、フレッドの視線の先、二人の言い合いが止まる。クレスはルレオの指先を真っ直ぐ目で追った。
「あれ、何だと思う? あのチカチカ光ってんの」
「……どれ? 良く見えないんだけど」
クレスが目を細めて海上、真っ直ぐ前方を見つめる。その間にルレオは見張り台から下りてクレスのもとへ駆け寄った。ルレオの眼球には、確かにぼんやりと点滅を繰り返す灯りが映っている。
「覗きな。どう対処するかはあんたに任せる」
ルレオは使っていた望遠鏡をクレスに手渡す。どうやら彼はその光の正体を既に知っているようだが自分で確認させたいらしい、クレスもそれを察して無言でレンズを覗き込んだ。
 白く霞んでいる、始めはそんな不透明な画面だったがだんだんと光の正体が明らかになる。暫く睨み合いをしてクレスの顔色が変わった。
「船……、漁船!? 波に煽られてる!」
望遠鏡をルレオに投げ渡す。じっくり様子見といきたいところだが状況はそれを許してはくれない。高波に煽られているのはこちらも同じだ。
「この遠洋にあんた小せぇ船ってのは変じゃねえのか? 怪しいぜ?」
「それはそうだけど……あの点滅、救助信号よ。こちらに救助を求めてきてるわ」
 風が強くなってきた。雨の勢いを手助けしていたに過ぎなかった風が、大きく船を揺るがすほどに荒れている。甲板に立っているのも今ではやっとである。
 ビュオオオォ──扉を開けると同時によろめいてフレッドは数歩後ずさる。身を丸めてほんの気持ち程度暴風雨に抵抗してみたが、もたつけばもたつくほど無駄に雨粒を食らうだけで全くの取り越し苦労である。仕方なく外で出て一気にクレスたちのもとへ走った。
「どうかしたのか? 無駄に濡れっぱなしで」
「うるせえ! 今頃顔出して減らず口叩きやがって……! 帰れ、ひっこめ、消え失せろ!!」
間髪入れずルレオが鬼の形相で反応する。これにはフレッドもたじろいで口ごもった。クレスを横目で見やったが彼女も機嫌の良さそうな顔ではない。
「難破船。救助信号を出してるんだけど……このままじゃ見てのとおり、沈むわ」
限りなくイカダに近いオンボロな漁船は今にもひっくり返りそうな勢いで左右に大きく揺れている。これが揺りかごなら中の赤ん坊はげろげろだ。汚い例えは訂正しておこう、乗組員はさぞ大層な船酔い状態であろうことが予想される。想像してフレッドは同情の念を抱いた。
「とりあえず出来る限りで船を近づけよう。見殺しにするのも夢見が悪そうだし」
「そうね、できればだけど。とりあえず信号は返すけど、後は向こうの運次第ね」
クレスにしては珍しく無情な物言いだ、と思った矢先にクレスは素早く見張り台の灯りを点滅させて救助信号に答えた。本音とは裏腹に冷静を取り繕うことに関しては、実はこの女が一番多用しているのではないかとフレッドの口から苦笑が漏れた。
 漁船が波と奮闘しながらこちらに近づいてくる。肉眼で確認できるようになると、漁船の中からひとり、壮年らしき男が姿を出した。必死に船の縁に掴まってかろうじて立っている。
「今ロープを投げるわ! 中は何人!?」
「私を含めて三人だ! すまんな、どこの商船か知らないが恩に着る!」
商船──この中途半端な大きさは端から見ればそう見えるのだろうか、目の前で繰り広げられている決死の救出劇も他人事のように眺めて、クレスを除く男性陣は軽く失笑していた。
「残り一人ね! 急いで、こっちも手一杯なの!」
一人ロープを支えるクレス、それを後方で見守るフレッドとルレオ。この薄情さはどこから来るのだろう、先にロープをつたってきた壮年の男二人は妙な光景を目にして立ちつくしていた。
「ラスト!」
最後の一人が足をつけると同時に空になった漁船は視界から消え失せた。正しくは、海面から姿を消した、だ。藻屑となっていく船に後ろ髪引かれながらも一行は足早に船室に避難した。
「ったく冗談じゃねえぞ、何なんだよこの雨は! 見張りなんかやってられっかっ」
最後に文句を垂れながらルレオがドアを閉めた。この騒ぎに便乗して体よく見張りを放棄するあたり彼のツキは満開らしい。ぐっしょり濡れた服でこの人数、閉めきった部屋にいるとなると気分が滅入る。
「まあ無事救助できたし、これはこれで良かったんじゃないか? ちょっとむさ苦しいけど」
「あなたは何もしてないでしょ! 文句言わない!」
すぐさまクレスが目を尖らせる。彼女は一人大役を果たし、肩で息をしながら乱れた髪を下ろしていた。それが妙にフレッドの目にとまる。彼女が髪をおろしたのを見るの初めて会ったとき──つまりセルシナ皇女の影武者として扮装していたとき──以来だ。肩まで伸びたブロンドの髪は、雨に濡れてもどこか気品を帯びていた。
「……何」
不審な目で見ていたフレッドに向けて、更に不審な目を返すクレス。言われてようやく自らの変質者っぷりに気付く。
「別に」
慌てて目を逸らした視線の先に、これまたいつもと雰囲気を違えたルレオが居る。普段は重力にこれでもかというほど逆らっているハリネズミのような髪は雨に撃たれてしょんぼりしていた。含み笑いをしてフレッドはついでとばかりに周りを見渡す。が、ヘアコンテストはルレオで終了せざるをえなかった。理由は明白だ。
「まーた見事なスキンだなあ。雨粒直接当たって痛くねえ?」
初めに引き上げた二人の壮年男はどちらも完膚無きまでにスキンヘッドだった。


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