「冗談じゃねえぞ……! 丸腰の人間に何する気だ、おい!」
最近口癖のように発してきた冗談じゃない宣言も飛び出したところで、フードの人物は小柄な体を半回転させてルレオにナイフを振り下ろした。唇が、イ段を発音する際の形のままルレオはそれをまたぎりぎりでかわす。ぎりぎり、というのは命に別状はないという意味のぎりぎりで二三度ナイフが振り下ろされては二の腕や首筋に赤い血筋が走った。
「……ざけやがってっ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」
後方に倒れ込んだかと思うと、ルレオは両足をフードの顔面狙って蹴り上げる。フードの中の顔が不意に歪むが会心の笑みを浮かべるルレオをよそにフードは軽くしゃがんでルレオのソルトを難なく流した。不発に終わったカウンターの反動でルレオは派手に尻餅をついて、呆気なく後ろを取られる。
「おいおい……何あんたまで掴まってんだよ」
「うるせえ! お前に言えた台詞か!?」
船室の入口にフレッド、舵付近にクレス、そして逃げに逃げた末バルコニーにルレオ、全員それぞれの位置で背中にナイフが当てられている。状況だけ見ればかなりの緊迫した空気のはずだが、緊張感に欠ける会話とスキンヘッドのせいでシリアス度は半減していた。
「今言い合ってる場合じゃないでしょ! 状況ちょっとは考えてよっ」
「俺は最初から胡散臭いと思ってたんだよっ。つるっぱげとわけわかんねーフードの親父が漁業なんて普通に考えておかしいだろ!? それをどっかの誰かがほいほい釣り上げるから」
「何よ、私が悪いってこと?」
身動きのとれないまま二人は口だけをマッハで動かしている。フレッドは更に、器用に眼球だけをずらしてクレスを視界から遠ざけた。
「そう取れなくもないけどな」
小さく嘆息してフレッドは完全に明後日の方向を見る。そのはずなのに、何故かクレスの威圧が針のように肌に刺さった。口元をひきつらせてフレッドはそのまま頑なに逆方向を眺め続けた。
「うるさいぞ。そんなに早く死にたいか」
「すみません。黙ります」
再び背中を冷や汗が流れる。黙っていたいのはやまやまだが前方にクレスの不機嫌そうな顔を見つけると、どうも口が独りでに動く。
「……あんただけが原因じゃないにしろもう少し警戒すべきだったな。ファーレンはいつでも俺たちを狙ってる、今回でよく分かったろ?」
クレスの肩が嘲笑で微かに上がる。
「知った風なこと言わないでよ。狙われてるのはフレッドよ? 私とルレオはどっちかって言うととばっちりだわ」
「よく言うよ。処刑寸前だったくせに」
負けじとクレスの弱みにつけ込む。案の定彼女の血は脳天まで一気に上昇して闘争心に火がついた。もうクレスの頭に背中のナイフのことなどは欠片も残っていない。
「それとこれとに何の関係があるのよ! フレッドって大口叩く割にいつも何もしてないじゃない、口だけなら誰にだって言えるわ!!」
「はあ!? あんたも捕まってんだから他人のこと言えないだろ! 誰だよ、大袈裟に悲鳴上げたのはっ」
「だからそれとこれと何の関係があるってのよ!!」
「大ありだ! あれで挽回のチャンスを棒に振ったんだからな!」
生命の危機、それは彼らにとって今やどうでもいいもののひとつに成り下がっている。力の限り喚き合う二人を、珍しくルレオは一線引いて眺めていた。どうやらこの男には一応の危機感というものがあるらしい。二人の平行線の言い争いに舌打ちだけが派手に漏れた。
「あいつら殺されてぇのかよ」
「ほんと、いつのまにあんな仲良くなったんだか」
ルレオは頷こうとして、目を見開いた。大脳が急にフル回転し始めて覚えた違和感の正体を分析する。声は背後から聞こえた。ということは、結論は容易に出る。
「おい、お前──」
声は想像の域を遥かに超えて高かった。ルレオが無理矢理に振り返ろうと上半身をねじると、それを促すようにフードの人物は彼に突きつけていたナイフをゆっくり引いた。そして間を置かずルレオに何か囁く。一瞬の耳打ち、それはルレオにいろいろなものを与えた。安堵、驚愕、そして会心の笑みを浮かべる余裕。
華麗に反撃開始、と決め込みたいところだったが場をかき混ぜているのは敵兵ではなく、悲しいことに味方側の人間だ。
「恩を仇で返す奴だな! ちょっとくらいしおらしくできないか!?」
「お礼なら言ったわ! あなたがそんな恩着せがましい人間だとは思わなかっ……」
ビュッ──クレスのヒステリックな叫びを制すナイフ。フレッドの背後についている男から投げられたそれはフレッドの耳元数センチ脇を通り過ぎてクレスの頭上の柱に突き刺さった。
「いい加減にしろよ。心配しなくてもクレス隊長さん、あんたもこいつと一緒に送ってやるよ、二人仲良くあの世に行きな」
三度目の正直とばかりに冷や汗がまた流れる。前方でクレスも顔の筋肉を強ばらせた。刃物の独特な存在感というものは、視界に映らなくても絶対的に感じることができる。背後から一気に刺されるのか前方からぶん投げられるのかは分からない、次の瞬間の自らの状態を想像してフレッドは目眩を覚えていた。
いち早くナイフを構えたのはフードの人物だった。ルレオを押さえ込んでいながら標的は思い切りフレッドのようだ。
(は!? そっちかよ!)
ナイフは太陽光を反射し瞬くと、勢い良くこちらに放たれた。それは鮮やかに、フレッドに振りかざされていた壮年男のナイフをはじく。
「フレッド、今!」
目を丸くしている暇も、悠長に疑問符を浮かべている時間もない。それらを全て行動の合間に行いながらフレッドは促されるまま背後にべったり付きまとっていた男に渾身の肘打ちをお見舞いした。鳩尾を押さえ込む男の顎面に落ちたナイフを突きつけた。