Mad Tea Party Chapter 7

「いいか、このままがむしゃらに戦っても敗戦は目に見えてる。ここは頭を使うところだ、地の利はこちらにあるんだからな。……頭突きとかの話じゃないぞ、脳みそのことだ」
「え? あ、はあ……」
再開していきなりベオグラード節を炸裂されても対処に困る。実は一番緊張感がないのはこの男ではなかろうかとフレッドは頭の隅で考えていた。
 ベオグラードの誘導で前線から退いた連中は人家の庭先に身を潜めて円になって座り込み即席の作戦会議を始めた。背後で矢が飛ぼうが剣が飛ぼうが無視を決め込む。
「ひとりひとり相手にしていたらきりがない、体力も底をつきかけてるしな。ここはひとつあれだ、『ひとりが犠牲になって一気に一杯片付けよう作戦』略して『サヨナラ雑魚兵士さん大作戦』だ!」
ベオグラードが真顔で身を乗り出すも何人かは目をそらした。作戦名にセンスは微塵も感じられない、それどころか略されてもいない。フレッドは一度逸らしてしまった視線を意を決して元に戻した。一応説明をきくことにする。内容が大事だ。
 皆の軽蔑のまなざしに気づいてか、ベオグラードは咳払いをすると仕切り直しとばかりに真面目な表情を作りなおした。
「詳しく説明しよう。まずエマの構造から把握してもらいたい。現在地は……ここだ」
足元に落ちていた手頃な木切れを拾ってベオグラードは地面に略地図を描き始めた。最後に描いた図を何重にも丸で囲む。
「それは?」
「町の端にある桟橋だ。海に直結する川だからな、幅は十分にあるし何より昨日の時化でいい具合に増水してくれている。作戦のポイントはここだ」
「なるほど、俺の出る幕じゃないな」
ルレオがいち早く察して立ち上がった。フレッドは未だ小首を傾げている状態だ。
「できるだけ多くの兵をこの橋上におびきよせる。そのためには囮になって敵を引きつける役が必要だ。……聞いてるか、フレッド。お前がやるんだぞ?」
「は? 俺?」
頷くベオグラード、ルレオの方を見ても我関せずと明後日の方角を向いている。言わんとすることは分かるが抜擢される理由がわからず目を丸くした。
「……橋を落とすわけですか」
「そうだ。頃合いを見て俺が支柱を叩き斬る。お前は派手に目立ってできるだけ多くのルーヴェンス兵をかき集めればいい。簡単だろう」
「待って下さいよっ、そううまくいくわけが──」
不平を言い終わる前に頭上を横切った矢に言葉を阻止される。顔を見合わせていると矢は容赦なく次々と彼らに襲いかかってきた。今まで安全地帯と化していたのが異常だったのだ、ルレオはのんびり立ちあがって補充した矢をセット無造作に五、六発反撃した。
「せいぜい無いオーラ振り絞って悪目立ちしてきな。途中でくたばっても俺はいっこうに構ねーしな」
他人事だと思って、いや彼は何事も他人事としか捉えない、とにかく自分はエキストラですと背中で語ってルレオは一足先に戦線に戻った。ホースで水まきでもするように囲まれた敵に矢を浴びせる。それを横目にベオグラードが自身の身の丈ほどはある太く長い剣を杖代わりに立ち上がった。こちらも背中で仰々しく語る。すなわち“よっこいしょ”を。
「ベオグラードさん……!」
「俺はリナレスと合流して橋の向こう側で待機する。心配するな、そんなに大したことじゃあない。お前ならできるさ」
ベオグラードはあっさり庭さきを脱して戦場にまぎれていった。文字通りの束の間の再会で、フレッドはひとり取り残されてただただ呆気にとられていた。
 傍では無意味な奇声とともにがむしゃらに剣を振りまわす青年や、時代錯誤にもほどがある農業用の鍬で戦う中年もいる。このまま放置すれば終いには箒にちりとりだとか、おたまに鍋のふただとかの勘違い主婦が躍り出てきてもおかしくはない。フレッドはかぶりを振って身を起こすと刀身がきちんと鞘に収まっていることを確認した。
「やるしかないか……っ」
 敵の眼を惹きつける、それもできるだけ多くの人数を。そうなるとルレオが言ったように悪目立ちするのが一番だ。頭の固いルーヴェンス兵の注目を集めることは、そんなに難解なことではない。
 力いっぱい深呼吸する。ありったけの空気を吸い込むような勢いでフレッドは腹に力を込めた。気がすんだところで指先を丸めて口元に当てる。そして溜めこんだ空気を思い切り吐いた。
 ピィーイッ!! ──広範囲に甲高い指笛がとどろいた。未だ戦いを続ける町民へ、ルーヴェンス軍へ、負傷者たちへ、立ち上がることさえできなくなった者へ、指笛の音が届く。
 ピィイイィィー! ──再度。酸欠間際だ、三度目を躊躇っているとどこからともなく別の指笛が鳴った。ひとつではない。フレッドの背後から、はるか前方から、次々と鳴り始める指笛、そして歓声。
「そうだ俺たちは負けねえ! 負けられねえぞ!!」
「みんな武器をとれぇ! エマの町民の底力を見せてやるんだ!」
「いいぞ兄ちゃん、良くやった!」
 予想外の付帯効果があった。フレッドの指笛はウオークライさながらに周囲のエマ町民たちの士気を上げ、統率力を高めた。やけくそな拍手と歓声は本来の目的である悪目立ちに大きく貢献してくれる。一気に戦場のアイドルの
座を手にしたフレッドだったが照れている場合ではない、次に来るであろう間逆の反応に備えるため腰を低く落とした。
 以前にベオグラードから聞いたことがあった。戦火の真っただ中で吹かれる指笛は大敗決定の敵軍に対する憐れみで、すなわち“降伏するなら今のうち”の意であることを。本来は強大な軍が反乱や無駄な抵抗をとどまらせるために使う手段だ。
「居たぞ、あそこだ! 引きずりおろせ!」
「舐めた真似しやがって、ぶっ殺してやる!!」
 さて。というわけで屈辱にまみれたルーヴェンス兵は期待以上に目の色を変えて脇目もふらずフレッド目指して突進してきた。流石にエリートらしい反応だ、今回を除けば後にも先にも指笛を吹かれることはなかっただろう。プライドの炎を燃やす兵たちに苦笑いしながらフレッドは胸中でガッツポーズなどかましていた。ここまでは筋書き通りだ。
「後は橋まで誘い込むっ……、うまくいってくれよー……」
柄にもなく神頼みなんかしてフレッドはスタートダッシュした。命がけの鬼ごっこだ、全力疾走でエマの町を駆け抜ける。
「なぶり殺せ!!」
後方からは絶えず物騒な言葉が発せられている。振り返る気にはなれなかった。気配だけで、そこに殺意が渦巻いていることをひしひしと感じることができる。これだけ人数がいれば中には凄まじく足の速い者もいるだろう、その何人かはみるみる内に距離を詰めてくる。
(見えた! あれだろ、桟橋!!)
 気配が近い。おそらくすぐ後方に何人かは追いついている、分かっていても今応戦してしまったらここまでの努力が水の泡だ。風を切る音に剣先のこすれる音が混ざり始めたことも百も承知である。そんなふうにごく近くのことに気を取られていたせいか、真横から飛んできた高速の矢にフレッドは小さく悲鳴をもらして急ブレーキをかけてしまった。
(死ぬ! 絶対!)
すかさず剣を抜いた、もう応戦するしかない。振り返った瞬間に、既に振り下ろされていた相手の剣先を無我夢中で受け止めた。刃同士が激しくこすれあって不協和音を奏でる。同時にフレッドは知ってしまった。眼前には、これで全軍ではないかというほど兵が集まっている。これは、橋の手前の光景だ。
「てめぇどんだけ人気者気取りなんだよ、雑魚ばっかり釣りすぎた……っ」
誰かに背後を取られた。次の瞬間にはフレッドの背中から四方八方にボウガンの矢が放たれる。この奇襲で早々にフレッドに追いついてしまった俊足組がなぎ倒された。
「ルレオっ!」
今回ばかりは助かった、と思いきやルレオの姿は既に橋の中間地点にある。
「はあ!?」
思わず奇声がもれた。ルレオはゴールに向かってまっしぐら、フレッドの安否などには興味の欠片もないようだ。再び迫ってくる後衛部隊に口元をひきつらせてフレッドも全力で橋上を駆けた。橋の向こうでベオグラードが数人の兵と応戦しているのが見える。フレッドは再度、今度は自らの意志で振り返った。自然と笑いがこみあげてくる。
「気でも触れたかあいつ。うすら笑いしてやがるぜ」
「袋の鼠だ。俺たちに笛を吹くってことの意味をよぉく教えてやんねえとな……」
とびきりの嘲笑を浮かべる。餞のつもりだった。ベオグラードの大剣の勇ましい風切り音が後方で気持ちよく唸るのが耳に届いた。
「総員突撃!」
 司令塔がいるということはルレオが言うみたく雑魚ばかりでもないらしい。それはルーヴェンス軍への合図でもあり、フレッドへの合図でもあり、またベオグラードへの合図でもあった。
 ギィィィィ……──まず木の軋む音だけが先行した。これには全員がすぐに気づく。ただすぐに音の正体を把握はできない。うろたえる兵たちを尻目にフレッドは最後の力を振り絞って鬼気迫る勢いでラストスパートをかけた。実際危機が迫っていた。向こう岸が見えた瞬間、一気に足場が前方に傾く。
「ばかやろー! 戻れ!! 罠だ!」
誰かが叫んでいる。フレッドは既に海に流されたゴール手前の足場を目にして思わず後ずさっていた。
「跳べ、フレッド!」
三メートルほど先でベオグラードが頼もしく両手を広げていた。確かに見た目は物凄い包容力なのだが見かけ倒しである。助走もなくこの足場の悪い中を跳んだところで間違いなく海ポチャだ。フレッドが渾身の力で踏ん張りながらいやいやをしていると、今度は大剣の鞘をへっぴり腰でこちらに差し出してくる。それに掴まれということか。ベオグラードの後ろでルレオが指さして笑い転げていた。
 橋はもうもたない、判断する前にフレッドは傾きに任せて走り出していた。



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