凄まじい音がした。戦闘中の者も思わず手を止めてしまう地響き、轟音、そして水柱が何かのアトラクションのように高々とあがっていた。橋の付近に居た者はまた違った風景を目の当たりにしている。砂煙に視界のほとんどはおおわれているものの、水飛沫や木片が礫となって飛んでくる。
「よっしゃあ! フレッド成功したみたいっ。こっちもちゃっちゃか片付けますか!」
水柱がただの飛沫に変わるころリナレスが気合いじみた声を張った。体力はないが根性はある、それさえあればいくらでも戦える気がした。そんなやる気にあふれた矢先、ふらつきながらひとりの敵兵がこちらへ近づいてきた。
「は……橋付近に居た二個中隊、全滅しました……! 退却命令をっ。今の戦力では反乱を防げません……っ
「何があった!? さっきの水柱は何だ!」
「先刻の指笛に誘い込まれました……支柱を叩き落としたらしく橋もろとも我が軍の大半が落下、かろうじて岸についた者も戦える状態ではありません!」
「たったひとりになんて様だ……! 出直しだ! 態勢を立て直す。退却合図を出せ!」
ルーヴェンス軍の決断は早かった。放心する住民たちをよそにテキパキと戦場を退く。甲冑のやかましい音がそこら中で鳴り、それもすぐに消える。静寂が訪れたようでそれもやはり一瞬のことだった。
「や……やったぞ。俺たちの勝ちだ! 俺たちは町を守ったんだぁぁ!」
この若者のおたけびをきっかけに思考回路が停止していた住民たちはおそるおそる顔を見合わせて手にしていた武器を捨てた。手から勝手に滑り落ちたと言う方が正しいかもしれない。
「万歳ー! ざまあみろルーヴェンスめー!」
「神様ありがとうございます……! 勝った、勝ったんだ……!」
「これで娘のところに帰れる!」
皆傷だらけだった。歩けぬような深手を負った者もいる。それでも皆一様に明るく、たがが外れたように笑い合っていた。おかしくも楽しくもないこの場所で、喜びを分かち合い笑った。
それらの光景を満足そうに眺めている英雄気取りが数人、激流の川のほとりで黄昏ていた。
「うんうん……やっぱり住民の笑顔ってのはグっとくるものがあるよねぇ」
「その通りだ。この笑顔のために俺たち国軍がいて、警吏がいる。素晴らしいことだ」
「結局タダ働きしちまったぜ。……だりー」
英雄あらため、ただ好き勝手な感想を並べる観客たち。その和やかムードに腹を立てている者がひとり、いや腹を立てたいのは山々だったが今はその腹に激痛が走るため満足に怒ることもできない。
「良かったですよ……徒労に終わらずにすんで」
忘れられた英雄がわき腹をさすりながら三人を恨めしそうに見ていた。フレッドは落ちゆく橋から一か八かでベオグラードが伸ばした大剣の鞘を掴もうと跳んだ。あと一歩のところで鞘にしがみつくことがかなわず、あろうことか力任せにわき腹を打たれたのである。反動でかろうじてベオグラードたちのもとへ着地、この荒技のおかげでこうして悠長に岸に座っていられるわけだが素直に納得はできない。
「いやいやよくやったぞ、フレッド。お前のおかげでエマが救われたんだ。いやあ、大したもんだっ。お手柄お手柄」
ベオグラードが飼い犬でも褒めるような適当な讃え方で自らの非を闇に葬ろうとしている。もう嘆息するほかわびしさを紛らわす手はない。
「なーんかいいように使われたってんかんじだな。気づいたら兵はいないし、住民はさっさと帰ってるし……」
愚痴のひとつでも吐かないとやってられない。ベオグラードに聞こえるようにわざとらしく声量を上げた。
「まーまー、そんなルレオみたいなひねくれたこと言わないでさっ。パーっと祝杯でもあげようよ! そうしよー!」
リナレスの調子の良さに丸めこまれて一行はエマの町に戻った。ベオグラードが居ることで今までになかった妙な安心感がある。談笑しながらフレッドたちは宿に向かった。宿につくなり安っぽいソファーに全身を委ねた、のはルレオでフレッドも疲労の溜息を吐きながら重力に逆らわず勢いよく腰を落ち着けた。ここらでひと眠りしたいのはやまやまだがそうも言っていられない、睡魔に襲われぬようしっかりと身体を起こして前のめりになった。向かい側にベオグラードが腰をおろしているのがその理由だ。
「まあひとまず……無事で何よりだったな、今回の内戦も今までのことも含めて改めて安心させてもらったよ。ご苦労だった。リナレス、君もな」
照れ隠しににやけるリナレス、微笑してベオグラードは話を続けた。
「それで……ベルトニア王には会えたのか」
「はい。あらましを説明したら出来る限り協力してくださる、ようなことはおっしゃってました。サンドリア総隊長がいろいろと根回ししてくれて……」
「そうか、彼がな。……王位のことについてはどうだ。何かおっしゃっていたか」
ベオグラードは無表情なまま質問を続け、フレッドにその胸中を探ることはできなかった。無意識に視線を落としてしまう。
「次の月食まで待てと言われました。後は……その」
言葉を濁す以外できなかった。口にすればこの空気さえも崩れそうでどうしても躊躇ってしまう。フレッドの心中を察してベオグラードは申し訳なさそうに頭をかく。
「悪かった、知ってて言わせようとした。……気楽に考えることだ、お前に死なれても喜ぶのはルーヴェンス側だけだしなっ。そっちは視野に入れるな。……お前ひとりに責任があるわけじゃない」
フレッドが咄嗟に顔をあげる。フレッド以上にやりきれない思いを抱えているベオグラードを見て、急に自責の念が湧きあがる。儀式殿での別れ際、ベオグラードが謝罪する場面が不意に頭をよぎった。
「すいませんでした……! 俺が変な失敗さえしなければ……」
「いや、謝る必要はない。皇女が入れ替わっていたこと自体俺のミスだ。お前たちを巻き込んでしまって本当にすまない……!」
今、目の前で頭を下げている人は仮にもファーレンの、この国の護衛隊長だ。どんなに所帯じみていようがおっさんくさかろうが王の右腕として名を馳せる男が、しがない一般市民に頭をさげる、それがどんなに異質なことか頭では分からなくても空気の気まずさがそれを教えてくれた。
「頭あげてくださいよ……そんなことされても」
この場合どう対応すべきかフレッドは困惑していた。リナレスも半身をのけぞらせたまま硬直している。ベオグラードは数秒そのまま固まっていたが、暫くすると魔法が解けたように素早く身を起こした。
「というのはまあこの辺にして、と。お前ら俺がいないとなーんもできないおぼっちゃまだからな。どれ、これから先のことでも説明するかな」
フレッドの開いた口が形状記憶したまま塞がらなくなる。ベオグラードはそれよりもさらに大きく口を開けて気持ちよさそうに欠伸をもらした。