Seed of Fear Chapter 8

 焦っているときほど普段すんなり開く鍵があてつけのようにわがままをこねる。いっそのこと扉ごとぶち破りたかったが、この重たい鉄扉を蹴り上げたところでのれんに腕押しだ。フレッドは苛立ちを制そうと深呼吸した。
「フレッド!」
不意に名前を呼ばれて、瞬間身体が痙攣する。手から鍵が滑り落ちた。
「よくここが分かったな。……ベオグラードさんたちは?」
「村の様子を見に行ってる。……私が開けようか?」
鍵を拾って、クレスが申し訳なさそうにフレッドを見た。はじめは何故そんなことを言い出したのか分からなかったが受け取ろうと差し出した手を見て合点がいった。微かに震えている。フレッドは黙ってうなずいた。焦りと苛立ち、そして恐怖はフレッドの不安をいつのまにか大きくしていた。彼自身気づかないくらいの僅かなスピードで。
「随分派手にやられたな……。何のためにここまで……」
後ろでベオグラードの声が響く。フレッドは特に応答しなかった。鍵の開いた音と同時にベオグラードは踵を返す。
「俺とこいつらはできるだけ住民の救護に当たろう。フレッド、何か分かったら報告しろ。ニースの家にでもいる」
心外そうなルレオと心配そうなリナレスを引きずってベオグラードはさっさとその場を後にした。気を利かせたつもりなのだろうがフレッドにとってはどうでもいい配慮だったし、今はそちらに気が回せなかった。
 数歩下がるクレス、フレッドが扉を押し開けた。
「マリィ!」
倉庫は真っ暗で少々カビ臭い。埃にむせながら手探りでランプに火をともす。
「マリィ! 返事しろ!」
奥へどんどんと足を進めるフレッド、その後を追うかどうかクレスは躊躇して結局この入り口で待つことにした。
「お兄ちゃん……?」
か細い、けれど確かに声が聴こえる。探す前に声の主は前方から両足を引きずるような形で這い出してきた。
「お兄ちゃん!」
今度ははっきりと、聞こると同時に彼女はフレッドの膝にしがみついた。フレッドより数段激しく震える体を止めようと必死にその手に力を込める。いつも傍にある杖が見当たらなかった。
「……おかえり。遅かったね……っ」
 心配をかけないように明るく振る舞うのはマリィの得意とするところだったが今回ばかりはそうはいかなかった。フレッドの顔を目にした途端涙がとめどなくあふれる。
 フレッドはしばらく放心していた。それでも数秒してかぶりを振るとしゃがみこんでマリィを視線を合わせる。
「マリィ……ごめんな! ごめん……」
彼女の強がりを裏切らないように優しく髪をなでた。
「とりあえず怪我はないんだな。今回はだけは親父のおかげか。マリィ、何があったか話せるか……?」
「そうだ! スイング兄が……!」
「それは親父から聞いた。あいつ何考えて──」
「違うのっ。フィリアさんが一緒に連れて行かれちゃって……。私、怖くてずっと隠れてて、何もできなかった。ごめんなさい……」
フレッドの表情が瞬時に変わる。普段忘れているふりをしても、他人からその名を出されるだけで身体が強張る。マリィに気取られないようにフレッドは再び彼女の頭の上に手を置いた。
「いいんだよマリィ、お前は何も悪くない。悪いのは……ルーヴェンスだから」
 それからフレッドはマリィを抱きかかえて倉庫を出た。倉庫の前で待つクレス、そこで一度立ち止まる。
「ニース……って俺の知り合いの家。ベオグラードさんいると思うしそこ行っててくれよ。クレスなら大した説明なんかしないでもほいほい家にあげるだろ。俺も後から行く」
「あ、うん」
フレッドに抱きかかえられた少女がこちらに向かってお辞儀をしてくる。クレスは彼女を目で追ったまま反射的に首だけで礼を返した。
「……妹、さん?」
「マリィです。兄がお世話になっております」
出来た妹はこんなときでも挨拶をかかさない。クレスの方が慌てて敬礼したくらいだ。その光景をうんざりした表情で眺めるフレッド、二人のこれ以上の会話を遮断するように足早に自宅へ向かう。マリィがまたクレスに向かって会釈した。
「彼女はベオグラードさんの同僚。……さっきも言ったけど俺、これからベオグラードさんと話があるからまた出るけど──」
「大丈夫、お父さんと家にいるから。心配しないで」
言い出しにくそうな兄の言葉を遮断して、マリィが力強く微笑んだ。フレッドは苦笑いで返す。マリィの強さに今は甘える他なかった。


 自宅を経由してフレッドはそのままニースの家に向かった。断りもなく自宅さながらに上がりこむと、これまた不躾にニースの部屋のドアを開けた。
「ベオグラードさん、話が……!」
「フレッドォ!」
ドアを開けた早々本題に、というわけにはいかなかった。手荒な歓迎代わりのタックルを受けてフレッドは後頭部から床に倒れこんだ。
「に、ニースっ。どけよ、気持ち悪ぃ!」
「どけよはねえだろ! 生きて再会できたってのに……っ」
ニースは相変わらずのそばかす顔で元気に飛びついてきたが額の絆創膏と腕の包帯が痛々しかった。
「騎兵隊にやられたのか、それ」
「かすり傷だけどなっ。警吏の勲章ってやつよー」
苦笑でごまかすニースにフレッドもそれ以上深くは追求しなかった。彼もまた、他人に心配をかけることを嫌う人種だった。のそのそと起きあがると自室とは反対方向の廊下へ出る。
「おい、どこ行くんだよ……?」
「お前んち。マリィちゃん一人じゃ危ねぇし……俺いない方が話進めやすいだろ?」
否定できないから罪悪感が募る。ニースはそんなフレッドの胸中を見越してか快く部屋を明け渡した。
「ニース、悪い。全部片付いたら……」
「はいはい、期待しないで待っとく」
階段を下りる音が徐々に遠ざかって消えるとフレッドは開け放したままだったドアを閉めた。
 一拍置く。はやる気持ちを制するべく意識して所作をゆっくり行った。振り返って、入口付近にそのまま腰をおろして、最後にベオグラードに視線を送った。
「知ってたんですね」
が、意識して出したはずの第一声はやはり抑揚のない冷めたものになった。自分が思っているよりも、もしかしたら激情しているのかもしれないなと頭の隅で考えた。指先に無意識に力が入り始めていた。
「悪い。お前が王になったときからこうなることは予想がついていた。スイングを狙うだろうこともな」
「どうして」
ひどく小さな声で、呟くようにフレッドの口から言葉が漏れる。指先の力は行き場を無くしていた。それを振り切るように拳を握ると鋭い視線を一気にベオグラードに向ける。リナレスが立ちあがると同時にフレッドはベオグラードの胸座を鷲掴みにしていた。
「フレッド、駄目よ!」
子どもをしかるような口調だが目は真剣だ、仲裁に入ろうとするリナレスを振りきってフレッドはそのままの体勢を保つ。
「どうして黙ってたんですか! 知ってたならなんで……! 止められたはずだ!」
ベオグラードは眉ひとつ動かさずなすがままだったが、それが余計に場を蒼然とさせていた。フレッドが握っていた拳を、静かにほどく。
「俺のせいなのに……。なんで教えてくれなかったんですか……ベオグラードさん」


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