Side B:Frederica
「フレデリカ様」
ハイスと私のやりとりの一部始終を見ていたジョセフが、諭すような静かな声で私の名を呼ぶ。
「差し出がましいようですがその、奴が言っていることは一理あるといいますか、さすがに不憫といいますか。今のお話には私も反対です」
ジョセフは理解力が高い。加えて私の何倍も察しが良いから、あの断片的なやりとりだけでほぼ間違いのない状況把握をしたはずだ。そのうえで私の味方にはなってくれないらしい。
「心配なのです。フレデリカ様はご自身を顧みられないことが多々おありになる」
「反省はしてるつもり」
「言い方を間違えました。ご自身の身の安全にもう少しだけ注意を払っていただきたいと申しますか」
「たいした問題には思えない」
自分に起こる危険が一番対処しやすい。何事にもそれなりのリスクは付き物なのだから、対処可能なものを選択する、それだけの話だ。
でもハイスもジョセフも、私の対応力についてはまるで子どものそれのように考えている節がある。そこまでお粗末なものではないのだけれど。
「そう……そうですね、フレデリカ様にとってはおそらくそうなのでしょう。けれども私や、……ハイスは、『フレデリカ様が大事にされない』ことがたまらなくつらいのです。我々が大切に思う人を大切に扱ってほしいのです」
「それが私?」
「さようでございます。単純に逆の立場で考えては? フレデリカ様が大切に思う方が、ご自身のことを大切になさらない言動をとり、それを気に留める様子もない──」
私は、ハイスやジョセフの顔を思い浮かべた。とるべきリスクはとるけれど、二人を率先して危険に晒すような選択肢を私はとろうと思わないし、本人たちが立候補しても反対をするだろう。ジョセフの言いたいことは理解できる。でも今回は、私に命の危険が及ぶような事態ではないはずなのだ。ハイスの、あるいはジョセフの感覚が、私には過剰なものに思える。
一定の理解と一定の反発がせめぎ合う私の胸中を、ジョセフはたぶん的確に読んでいる。彼の小さな溜息は、呆れからくるものではなく、私に気持ちの切り替えを促すための合図のようだった。
「とはいえ……フレデリカ様がご自身のことをご選択なさるのに、我々が制限をかけることはできません。結局のところ我々がどう進言したところで、お決めになるのはフレデリカ様ですから」
こういうときジョセフはいつもなら、底抜けに明るいアドバイスをくれる。聞いているこっちが恥ずかしくなるような過剰な誉め言葉のシャワーで、私を安心させようとする。それが今回はいささか事情が異なるようだ。
私は何の物音もしない二階に視線を走らせ、ハイスが下りてくる気配がないことを察すると、ジョセフに断りを入れて再び店を出た。私なりに考えをまとめる時間が必要だと思った。そういえば、食事も。
昼間は賑わう店前通りも、暗くなってからは人の往来が疎らになる。店を出て、右方向に数歩直進。数えるほどしかいない人影に混ざる前に、目的の場所の入口扉に出迎えられる。少し重い扉をゆっくりと押し開けると、うちの店とは雲泥の差の賑やかな空間が広がる。
「いらっしゃーい。あらフレデリカ? 一人?」
頷く私を見て、レジーナはカウンター端の奥まった席を案内してくれた。一人のときは大抵この場所。店内を見渡せるのに、他の客からは見えにくい、かつレジーナとおしゃべりがしやすい特等席だ。
「夕食よね? 今日はホタテの良いのがあってねー。グラタンにしたんだけどどう? 味見がてら」
「うん、美味しそう。それで」
「美味しすぎて、元気でちゃうと思うわよ。食べて待ってて」
レジーナの笑顔は、店内にいるお客さんたちに向けられているものと同じだ。少し違うのは、私にだけは「後で話そう」の目配せをしてくれる。それを見て、私は安心して席に着く。
夕食の時間帯ということもあり、店内では様々な人が料理に舌鼓を打ちながら談笑を交わしていた。同じ通りに店を構える顔見知りの姿もちらほらある。この席は、彼らからは死角に位置していて、気づいたとしてもわざわざ席を立ってまで声をかけにいこうとは思わない絶妙な狭さにある。今は世間話をしたい気分ではないから、本当に有難い。──今でなくても、私はそもそも世間話が得意ではないから。
「はーい、どうぞー。あっついから気を付けてね」
木製プレートの上に載せられた深皿の中で、ホタテとエビが顔を出してジュウジュウと美味しそうな音をたてていた。そこへチーズの焼けた音と香りが重なって、食べる前から美味しい。いつもおまけで用意してくれるオリーブたっぷりのサラダをつまみながら、私はひとまず空腹を満たすことに専念することにした。
残り数回スプーンを往復させればグラタン皿は空っぽになる、という段階まできてようやく、皿の隅に押しやっていた面倒な現実を引っ張り出すことにする。
まず一つ目の事実確認。
(ハイスを……怒らせてしまった)
たまに呆れていることはあったけれど、ハイスがあんなふうに怒るのは初めてだったと思う。さらにはジョセフにも叱られた。それらをダブルで達成してしまった私は、もしかして人として大分終わっているのでは?
「コーヒーでも淹れようか。グラタン食べただけじゃ解決しない悩みみたいだし」
顔を上げると同時に、食べ終えた後の食器が下げられていった。レジーナの手が空いたということは、店内の客も随分疎らになったということで、私は少しだけ周囲に視線を走らせる。毎晩ここで夕食を摂る常連客数名と見覚えのない観光客らしき少人数グループが、それぞれに締めの一杯を楽しんでいるようだった。
模範解答を期待してここに来たわけではない。レジーナは親身に私の相談に乗ってくれるから、そして彼女の助言はいつも私に新しい観点をくれるから、私が間違えているのであれば軌道修正の起点をここにしたかった。私はとかく「ずれている」ことを自分で分かっている。
「レジーナの意見が聞きたくて……正解でなくて、かまわないんだけど」
「フレデリカがそんなに思いつめるなんて珍しいじゃない。お姉さんに任せなさいって」
「一生、……永遠に、愛されるには何が必要だと思う?」
私は静かにレジーナの返答を待った。騒がしいというほどではなかったが、それなりに聞こえていた周囲の話し声が止み、気づけば店内は静まり返っている。タイミングが悪い。あまり周囲に聞かれたい類の話ではないのに。
「レジーナ、聞いてた?」
「聞いてた! 聞いてたよ? ん〜! ちょ、ちょっと待ってね。ちょっと想定外のやつ来たな〜ってなってるからね。そうね、そりゃあやっぱり、努力が必要じゃない? 思いやりも!」
「そうじゃなくて、見た目だけで」
レジーナの表情がまた固まる。私の説明が不足しているのは分かるが、全てを明かすわけにもいかないから効率よく要点だけを述べているつもりなのだが、あまり功を奏していないことは分かる。静まり返った店内で、誰かが生唾を呑む音が響いた。
「そういうことなら……悩む必要はないかな。十分かわいいわよ、フレデリカは」
「だからそうじゃなくて! もっとこう、問答無用で万人がめろめろになるような、圧倒的かわいさが必要なの! それがどういう要素なのか知りたいの!」
もどかしい。痒いところに全然手が届かない。老若男女関係なく、性格性質関係なく、誰もかれもが愛してしまうような要素を以てして、文句なしにサミジーナの器として叩きつけてやりたいだけなのに。
「あんた一体何がしたいの……。そんなのこの世の中には猫ちゃんくらいしかいませんよ〜」
「……猫」
「そう、猫ちゃん」
「ははっ、そうだなあ〜。うちのかみさんも、俺より飼ってる猫のほうが好きだもんなあ〜!」
「分かります、それ。俺、最近猫飼いはじめまして──」
丸テーブルで陽気に飲んでいた常連客が、しっかりこちらの会話に聞き耳を立てていたようで、猫トークに花を咲かせ始めた。おかげでレジーナの投げやりな提案に謎の説得力が生まれる。
「猫……ちゃん」
私が確かめるように呟くのを、レジーナは呆れた声で窘める。
「何の話なのかはよく分かんないけどさ、見た目より誠実さじゃない? 愛したり愛されたりって、情熱だけで成り立ってることもあるのかもしれないけど、それって刹那的でしょ。永遠にとはいかなくても、長い間、お互いに大切だなって想いを交し合いたいなら、誠実でいることが一番よ」
#6 Side B
